なぜ時間は止められないのか

今日は「数の魔力」の日。

なぜなら神やんが今朝
現れなかったからです。

さて。

私たちは日常の中で
当然のように数を数えたり
時間を確認したりしています。

しかし一体どこに
数というものが
あるいは時間というものが
存在しているのでしょうか?

あなたは宇宙空間に
たとえば空や海の中に
数字を見たことがありますか?

風や日差しに季節を感じるとき
時間というものを
見たことがありますか?

数と時間は、どうやら
あるにはありそうですが
存在を見たことがありません。

住所表記や商店の値札
書籍やスマホの中に
数の形象を見ていますが

それは数そのもの
…では、ありません。

時計を見ると、たしかに
時間を表す数は見えますが

これもやはり、時間そのもの
…では、なさそうです。

私たちが思考するとき
あるいは意識を向けたとき

ヒュッと姿を現すのが
数と時間なのです。

私たちは意識はによって
数と時間をコントロール
できそうな感じです。

なのに、どうして私たちは
「じ~か~んよ~とまれ~」
などと切実に願うのか?

その理由をタシュナーが
解説してくれるのですが…

何度読んでも、私には
とんと理解できずにおります。

もしかしたら、こういうこと?
と思うイメージがあるので
以下に書いてみます。

「数とは」「時間とは」
という問いに対して人間は
意味のある答えを
見つけられずにいるらしい。

ただ、そこに、あるだけ。
見えないけど。

その絶対的存在感は
宇宙とか神様に通じるもので

はっきりさせようと
すればするほど
無力感や喪失感にかられるため

そこでジタバタすると
「じ~か~んよ~とまれ~」
と叫びたくなる

…ってことかしら?

だとしたら力を抜いて
数と時間の魔力に
すべて委ねてしまえば

時間は私たちに
優しくしてくれる

…ってことじゃないかしら?

タシュナーさんに
詳しく伺いたいところです。