神やんから届くメッセージを分かりやすく記事にしています神やんって?★★高次元と繋がるメルマガを始めました【無料登録する】

なぜ時間は止められないのか2

今朝も神やんは
現れませんでした。

結果として数と時間の話を
続けるわけですが、これも
神やんからの示唆かもしれません。

さて。

いくら数を数えても
数という存在は見えません。

時間を確認したところで
時間という存在とも
出会えないのです。

私たちは数を数えるとき
たとえば「7」で
止めることはできます。

けれど「7」の次には
「8」が続くことを
知っているわけです。

7時を1時間過ぎると
8時がやってくるのを
止めることはできません。

一方で私たちは、いつでも
「1」から数え始めよう、と
決めることができます。

私たちの心の中には
自由意思の力で何かを
始めたいという願望があり

この願望によって数を
「1」から数えたくなるのです。

暦や時計の発見には
この「1」(始める)という
強い願望が根源にあるようです。

たとえば時計の目盛りが
円形を成しているのは

針が一周するたびに時間が
新しく「1」から始まることを
人間が熱望しているから。

暦が新しくなり新年を迎え
「1」から始まるこの年が
より良い年であることを願うから。

ここでタシュナーは
この「1」への切望を
「集団的幻想のあらわれ」
…表現しています。

集団的幻想かぁ…。

元旦に、今年の目標を
定めるような感覚ですかね。

「1」から始める。

「1」を決める。

数と時間はただ存在して
私たちの願望には
とんと関心もみせず

容赦なく淡々と
進んでいくようです。

言語や習慣の違いを
楽々と超越して
数と時間は存在します。

やはり数と時間は
予定調和なのでしょうか…。

※私の理解する「予定調和」とは:予め(あらかじめ)神様が定めた調(リズム)と和(ミックス)により宇宙・世界の秩序が整っているという考え方のこと。