声には本音が現れる

今朝ふと気づいたのは
神やんの声(音の響き)が
日によって全く異なる
…ということです。

私の状態によるのか
神やんの意図なのか

いずれにせよ今朝は
ちょっと優しすぎて
涙ぐんでしまいました。

言葉は記憶に残らず
ただ優しい音の響きが
静かに残っています。

さて。

声、という音の響きには
発するものの意図や
心の状態が現れますね。

声を発する人のもつ
全てが声に宿っている。

愛も悲しみも憎悪も
記憶も期待も諦めも
あるいは無関心も宿る。

全てを宿した声は
受け取る側の周囲にある
空気を揺さぶりながら
皮膚を撫で、染み入る。

私たちは耳という器官だけで
声を聴くわけではありません。

その人のもつ何かが
隠しようもなく声になり

誰かの心を和らげたり
また傷つけもする。

言葉の意味ではなく
音の振動が人の心を
動かすような気がします。

意味が分からなくても
身体をぶち抜くような声
っていうのも、ありますね。

私がぶち抜かれた声には
バリ島のケチャ
マオリ族のハカ

あと美輪明宏さんが
トークの間に挟んだ
短いハミング

…などがあります。