言霊の力~KOTODAMA POWER~

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人間関係と心の悩み・ミニ・エッセイ集5

心、ケチっていませんか?

たまには森の中で、木にかこまれた時間を過ごしていますか?

日の出や日没、風や波を感じていますか?

いつも通り、話はあっちゃこっちゃしますが、あなたの心が軽くなりそうな話です。

 

口数が多くなるとき

言い訳。

説明。

弁明。

…などなど。

本意でないことについて話しているとき。

人は、どうしても口数が多くなりますね。

口数が多いのは、やりたくないことをしている証です。

会いたくない人と、会っているとき。

欲しくないものを、手に入れようとしているとき。

もう帰りたいのに、立ち去れないとき。

どうでもいい時間を、どうでもいいことで埋めようとするとき。

楽しくないのに、楽しいふりをするとき。

言葉を使うことによって、本心と向き合うことを避けているんですね。

気づかないうちに、体がゾワゾワして。

お腹の深いところに、重くて硬い石のようなものが現れる。

その石がどんどん大きくなって、わけのわからない言葉を繰り出して。

しまいに、お腹の中で爆発する。

途中で気づいても、やめられない。

そしてドカン!とやられた後には…

「あぁ…やっぱり…」

ということになるわけです。

どうぞ、ひとりの時間を大切に。

そして、会話がなくても心地よい相手との時間を大切にしてください。

自分の可能性を知る方法

自分には、いったい何ができるのか?

愛する人のために。

世の中のために。

地球のために。

どんな努力を、練習を、勉強したらいいのか?

どんなことが、できるようになるのか?

それを知るために欠かせないのは…

…自分が何に耐えられるか、何に耐えられないかを知ることです。

どうしても耐えられないことを、無理に耐えようとしても、可能性は広がりません。

耐えられることと、耐えられないころ。

その大きな違いを探ること、嗅ぎ分けることです。

世間では良いといわれること、正しいとされることであっても、それは自分の力を発揮する道ではないかもしれません。

世間の評価とは全く関係のないところで、自分という一つの仕組みが、耐えられることだけに耐えてください。

耐えられないことは、やっぱり耐えられないので、その道を進んでも苦しいだけだと思います。

楽々とできることにエネルギーを注ぎ、楽であることに忠実であれば、自分の能力は全開します。

どんどん先へ、進めるようになります。

心と体の助け合い

心が弱っているときは、体にがんばってもらいましょう。

体を撫でる。

体を伸ばす。

体を温める。

心が弱っているときこそ、体に親切にして、その力を貸してもらいましょう。

体が少しでも動くなら、きっと心と手をつないで、一緒に動いてくれます。

体が歩けるなら、心も一歩、前に進めるかもしれません。

体が走れるなら、心もジャンプできそうです。

体が動けないほど、心が弱っているなら、ひたすら体を休ませてあげることで、心に休憩時間をあげましょう。

また、心は元気なのに、体調だけが悪い、ということもありますね。

楽しく遊び過ぎて、筋肉痛だとか、二日酔いだとか…。

そんなときは、智慧や知識や経験の出番です。

他人の力を借りることもお忘れなく。

心も体も同時に弱り、頼るものがないときは、自分の手を自分で握ってください。

自分の腕で、自分を抱きしめてください。

自分という存在全体が、自分の心と体の、最強のサポーターですからね。 

時間の無駄づかい

将来、たとえば10年先の展望や予測を考慮し、今から計画をたて行動をする。

う〜ん…。

私が苦手なことのひとつですが、素晴らしい心映えです。

憧れます。

ところで、私たちは日常的に、5分先、10分先、せいぜい半日先のことに気持ちを奪われているように感じるのですが、いかがでしょうか。

ほんのちょっぴりだけ先のことを思い煩うだけのって、ものすご〜く時間を無駄にしているとは思いませんか?

いつもせわしなく、前のめりになって、次のこと、その次のことを考えている。

あ~、もう本当に、「今このとき」にいるって難しい。

こんなことばかりしていたら、そりゃ気分は悪いし、モヤっとした疲労感が消えないはずです。

とにかく深呼吸です。

5分先の自分がどうだって、今が幸せなら、いいじゃないか!と思う、今の幸せな私。

 

自分に嘘をつくと…

噓つきは泥棒のはじまり。

嘘は悪への道の、第一歩なのだそうです。

そうかなぁ…。

相手を無駄に傷つけないために、その場を和やかにするために、かわいい嘘をつくのは、いいんじゃないかしら。

ひとつも嘘をつかずに生きることは、素晴らしいけれど、さぞかし苦しいことでしょうねぇ。

私は世間と、ほどほどに折り合いをつけているし、嘘をつくこともあります。

けれど、決して嘘をつけない相手がいて、それは自分ですね。

巧妙に嘘をつこうとしたって、どうしてもバレますから。

自分についた嘘は、予想外の大きな影響力を発揮します。

自分の魂に、暴力をふるうようなものです。

心は傷つき、肉体にもダメージを与えます。

本来の自分の願いを無視して、見栄や体裁や誤魔化し、他人の意図や社会通念や損得勘定を優先すると、きっとひどい目に合うのです。

出口のない迷路に、自分を閉じ込めることになります。

自分に嘘をついてはダメ。

あ、やっぱり、他人にも、嘘をついたらダメですね。

嘘をつくと、その嘘を覚えておかなくてはなりません。

特に、私のように記憶力が劣化している場合は、あとあと面倒が重なることでしょう。

はい、正直にね(笑)

夕陽でご破算(リセット)

今日がどんな一日であっても。

あなたがどんな人であっても。

今日の夕陽は、みんなに等しく恵みを与えてくれます。

雲の色が秒ごとに変化し、これからやってくる夜を祝福してくれます。

とにかく、ただ美しい夕陽を眺めて、今日の全てを一度ご破算にいたしましょう。

今日は今日、明日は明日。

寂しくても悲しくても、今は今。

心が折れそうな日も、人を傷つけてしまった日も、ただ夕陽を眺めたら、何かが少しだけ変わります。

あの圧倒的な茜色や群青色は、私たちの本能を蘇らせてくれます。

明日も、また生きよう、生き続けよう、というシンプルな力を与えてくれます。

もっと体を信じなさい

自分の感情や思考を、信じていますか?

自分の気持ちって、かなりいい加減だと思いませんか?

自分の記憶って、自分で加工・脚色していることに気づきませんか?

自分の素直な気持ちが、損得や嫉妬などの執着に浸食されていませんか?

私は、自分の感情も思考も、さほど信頼していません。

周りの人や環境や情報に、影響を受けるものだし。

どんどん変化するし。

忘れるし(笑)

かといって自分という生き物を、適当には扱いたくありませんよね。

というわけで、体を信じたら良いと思うわけです。

体は正直で、嘘をつけなくて、損得勘定はしませんね。

欲望はあるけど、食べたいとか寝たいとか、素直な欲です。

それに体は、嫉妬しませんからね。

体を信じて、体からのサインをしっかりキャッチする。

体がだるい、重い、痛い、苦しい…、そんなときは、どんなに魅力的なお誘いでも、ちゃんと断りましょう。

体が軽い感じだったら、そのまま進んで大丈夫。

体と心はつながっている…って確かにそうなんですけど。

心より体の方がシンプルなので、もっと体を信じたら良いと思うのです。

不愉快なシーンに遭遇したとき

意図せず耳にしてしまった陰口・悪口・噂話。

怒鳴り合う人。暴力。喧嘩。意地悪。

ピカピカにお洒落しているのに、路上にゴミをポイっとやる人。

自分が直接的に被害を受けたわけでもないのに、なんだか、ぐったりしますよね。

このシーンに、このタイミングで遭遇するのは、いったい、どんな因果があるのかしら?

何かを学ぶ機会を与えられたのかしら?

…などと、考えてみたところで、まぁ気分は良くなりません。

誰の心の中にも醜い部分はあって、それを見た。

今日のところは、ただ、それだけのことにしておきましょう。

このシーンが発するものを、自分の中に入れて、自分の心を疲れさせることはありません。

私の心の中には、ちゃんと(ちっちゃいけど)美しいものがある。

今は見えないけれど、きっと、あの人の心の中にも、美しいものがある。

はい、以上。

エコが何だよ!心はケチるな!

えこ(eco)?

エコロジー(ecology)つまり自然環境や生態系。

エコノミー(economy)つまり経済活動。

まぁ、どっちでもいいんですけどね。

「エコ、エコ」って、うっとうしいんだよ!と口に出してしまいそうな最近の私です。

地球に優しくとか、資源を大切にとか、言葉面は美しいのに、なんだか誠意を感じられない。

エコは悪いことじゃないのに、なぜ、こんなにも嫌な感じがするのかしら?

ふと思いついたのは、「ケチな根性」です。

美しい言葉や行動の背後に、誠意とか真心が感じられないと、やっぱり薄っぺらい感じがします。

損得勘定や欲が見えてしまうと、もう、嫌だなぁ。

わが身を振り返っても、心がケチケチしていると、ろくなことがないですね。

ちょっと面倒だなぁと思ったとき、ケチ根性が発動すると、もっと面倒になる。

そのまま行動すると、関係者を不快にさせ、自分にもガッカリすることになる。

心の気前がよいときは、面倒なこともサクサク進むし、豊かな感じがします。

心をケチらず、気前よく。

貯蓄すべきは心の豊かさよね(笑)

落ち込んだら森へ行け

あまりに生意気で、可愛げのない子だった私は、親族の中の変わり者でした。

ひとりだけ気の合う、やはり変わり者の伯父がいて、夏休みは伯父にくっついて歩いた記憶があります。

大動物専門の獣医で、牛やら馬、山羊、巨大な秋田犬の手術を、ゴツい手でササっと済ませ、最後に動物たちのお尻をポンっと叩くシーンが好きでした。

まだ暗いうちに川へ行き、投網(とあみ)で鮎(アユ)や鮒(フナ)を捕まえる。大きなバケツを伯父が、小さな缶を私がもって獲物を運び、翌朝には甘露煮ができあがっていました。

森や山に入るときは、誰にも行き先を言わないこと!

キノコに詳しい伯父は、連れていった人たちがキノコを根こそぎ採るのを、止めようとして喧嘩になったことがあるのです。

キノコは柄のところまでを、そっといただいて、ツボ(土に触れている膜の部分)は残しておくのです。すると、来年またキノコが育ってくれます。

伯父と私は、山の中で一日中ほとんど言葉を使いませんでしたが、何の不自由も感じませんでした。

山奥の森林は、圧倒的な力で私を吸い込んでしまうようで、少しだけ怖くて、とても気持ちがよかった。

伯父とずっと森の中にいられたらなぁ、と何度も思いました。

あの頃、蓄えた自然貯金が、まだ私の中に残っていて、どうにか生き続けているのかもしれません。

煮詰まってくると、あの森を思い出します。

なんだか私小説風になってしまい、こっぱずかしい限りでございます。

とにかく。

苦しいときには、山とか海とか、川や湖、お日様や月や星を眺めるだけで大丈夫です。

ゆっくりお出かけできるなら、山や海を訪ねて、たっぷり自然を吸い込んできてください。

見えない力を蓄えて、このザワザワとした世の中に、プカプカ浮かんでまいりましょう。

 

 

 

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