少しでも楽になってほしい。
ちょっぴり笑顔を思い出してほしい。
そんなつもりで書いています。
焦燥感の解消法
原因のはっきりしない焦りや不安。
じっとしていられない感じ。
とにかく落ち着かない。
イライラ、ソワソワする。
この「焦燥感」という名の、いたずらっ子は、なかなか手強いのです。
何かしないとダメなんだけど、何をしたらいいのか分からない。
急いでやらなきゃ!と思うんだけど、時間ばかりが過ぎていく。
あぁ!もう!
どうしよう!
あるある、ありますね。
自律神経がどうとか、ホルモンバランスがどうとか、まぁ色々とご意見はあるでしょうが…。
焦燥感の元ネタは、ずばり「疲れ」です。
精神的に、肉体的に、あるいは脳的に、とにかく疲れています。
「この場をどうにかしよう」
「何とか、やり過ごそう」
「急いで通り過ぎてしまおう」
とか何とか、ごまかそうとしているとき。
独特の焦りを感じるはずです。
急げば急ぐほど、その焦りは拡大します。
もうね、疲れをほぐすしか、方法はないんです。
今、急いだら、もっと遅くなりますから。
今、ここで、ただちに急ぐことを諦めましょう。
ちゃんと疲れを、疲れとして感じてください。
体が、重くなっているはずです。
急がば回れ。
急がば休め。
とにかく目を閉じて、横になってみてください。
毎日が誕生日
おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
今日も生きていますね。
眠りという、小さな死から蘇った、今日の新しい命。
好きな人と会って、好きなものを眺め、好きなものを食べたり飲んだりして、今日の誕生をお祝いしましょう。
毎日が誕生日です。
お誕生会のように、今日の幸せを味わってください。
この時間の記憶を、写真や動画を保存して見るように、何度も味わってください。
ニコニコ笑顔でいてください。
灰色の気持ちになることもあるけれど。
それは自分自身によるものではなく、日本全体とか、地球全体の雲行きの影響かもしれません。
自分の置かれた環境や、身辺の状況よりも、もっと大きな力によって、灰色になっていることもありますからね。
悲しいとき、辛いときほど、能天気に構えて、「ま、いいか」と、やり過ごしてしまいましょう。
今日も、お誕生日おめでとう!
性的マイノリティについて(私見)
突然ですが、性的マイノリティについて書きます。
友人女性(自己申告によるとトランスジェンダー・戸籍上は男性)と久しぶりに飲みまして、いわゆる「恋バナ」を聞かされました。
トランスジェンダーというのは、体の性別と心の性別が一致しない人、あるいは体の性別に違和感を抱く人のことです。
性的マイノリティ、という言葉の響きは、10年ほど前から比べると、だいぶ軽やかになったようにみえます。
が、この言葉が存在する限り、私の友人は「卑屈」にならざるをえない、というのです。
ちょっと待ってよ!と、熱くなる私…。
性的だろうが、社会的だろうが、マイノリティってのは「少数派」のことです。
反対側に「マジョリティ(多数派)」がいるわけで。
そもそも、友人と私には、ひとつの共通点がありまして。
その共通点というのは、ものすご〜く変わっていて、ものすご〜く少数派なのです。
その点について、多数派の方々とは、決して理解し合えないと思います。
理解し合えないままで、まったく問題ありません。
だって、私たちは、そういう風に生まれてきたのだから。
それを受け入れて、このまま生きていけばよいのだから。
性的マイノリティに関していうなら、全ての人が子孫を残さなくてもいい。
性的マジョリティの人だって、子孫を残さなくてもいい。
どちらも全体の一部で、人類全体が存続することを願いあえばいい。
もうそのように生まれているのだから、あれこれ考えたり悩んだりするより、少しでも辛くない生き方を考えた方がいい。
少数派だからといって、罪悪感を抱くことはない。
偏見という鎖に、縛られることはない。
と、熱く語る私の話はスルーして「恋バナ」が終わらない友人。
あのね〜。
眠くなった私は、友人を置き去りにして帰りましたとさ(笑)
第一印象の真相
「第一印象」といえば、やはり「メラビアンの法則」ですよね。
アメリカの心理学者、アルバート・メラビアンが行なった、コミュニケーションについての実験の一部が有名になったものです。
人間関係AとBにおいて、Aが、好意とも反感ともとれるような矛盾するメッセージを発信したとき、Bは、Aが発した非言語情報(表情・声のトーン・しぐさなど)から多くのメッセージを受信する。
…というようなことですね。
・受け取る言語情報は、わずか7%
・聴覚情報(発声のトーンや音量・速度など)が38%
・残る55%は、視覚情報(表情やしぐさ、つまり見た目)
こういうの、みんな好きですよね。
こういうの、というのは、数値化したり、法則化すること。
分かりやすい説明だから、納得しやすくて、安心。
「見た目の印象と、話術が大事」みたいな話として広がっていくわけです。
「第一印象は、出会いの、はじめの数秒で決まる」というのも、よく聞きますよね。
以下は、私の個人的な見解です。
↓↓
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・言語0.7%、聴覚3.8%、視覚5.5%、残りの90%は「なんとなく」で決まる。
・第一印象は、出会う前から、ほぼ決まっている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
↑↑
「なんとなく」感じることは、とても大事ですし、人との出会いには、すべて意味がありますからね。
ところで。
私たちが出会うのは、人だけではありません。
「もの」との出会いもあります。
新しい服。
新しい家電。
お土産のケーキ。
野菜、家、車、書籍、文具、タオル、化粧品、調味料…。
どんなものであれ、最初に箱を開けるとき、袋を開けるとき、丁寧に触れることをお忘れなく。
急いでいたり、ガサガサした気持ちのまま「もの」に触れないように。
自分の心の調子というか、波動というようなものが、「もの」との関係に影響します。
ガサツに扱えば、その「もの」との関係もガサツになり、自分自身もガサツな感じになっていきます。
自分の感覚を鈍らせ、その「もの」と自分を粗末に扱い、しまいには思いもよらぬ展開を見せることもあるのです。
「もの」との最初の触れ合いを、人との出会いと同じように、大切にしてください。
大きな木の姿を見習って
巨木が大きく、深く根を張るように。
私たち人間も、心の根を大きく、深く張りたいものです。
小さなことに動揺せず、穏やかな心が育ちそうです。
巨木の樹皮が、ひび割れていても美しいように。
私たち人間も、お肌のシワを、美しく深めたいものです。
まぁ正直なところ、シワは気になるのですが、なるべく笑顔のシワを育てなくちゃ。
巨木の葉々が、濃く重なりあいながらも、陽の光を通すように。
私たち人間も、小さな光を誰かに分けたいものです。
受け取って、吸い込んで、吐き出して、循環させる。
呼吸するだけで、太陽の恩恵を、世界に巡らせることができます。
私たち人間は、つい何かを独り占めしたくなる。
独り占めしたって、豊かにならないのにね…。
あぁ、私、ダメじゃん!
…と思ったときは、巨木を見習うことです。
で、もうひとつ。
私たち人間は、大地を歩むための脚を与えられておりますので、親しくなれそうな巨木を探して歩き回ることができます。
もし、あなたが今、ちょっと弱っているならば…。
さっ!歩きましょう!
禊(みそぎ)の話
禊(みそぎ)というのは、清らかな水を浴びて、罪・穢(けがれ)を洗い流すことです。
イザナギ・イザナミ神話に詳しい方は、笑ってお許しいただくとして、私なりに禊(みそぎ)について書いてみます。
神イザナギは、亡くなった妻の神イザナミを追い求め、死者の国に生きました。
女神イザナミ神は、腐敗した肉体を夫に見られたくないので、「私の姿を見ないで!」と頼みました。
なのに…神イザナギは、妻の姿をコッソリ見てしまったんですね。
愛は、狂気と紙一重です。
夫は、びっくりしたでしょうねぇ。
妻は、怒ったでしょうねぇ。
もう、許さない!
妻は夫に襲いかかります。
やっとのことで生者の国に逃げ戻った神イザナギは、死者の国の穢れを洗い流すため、清らかな川の流れに身を浸しました。
すると…
神イザナギの体から剥がれ落ちた垢(あか)が、新しい神々になりました。
左目の垢は、アマテラスに。
右目の垢は、ツキヨミに。
鼻の垢は、スサノオに。
あらららら…。
高貴な神々は、もともと目くそ鼻くそだったんですねぇ。
醜い姿を見られたくない、と切望した奥様イザナギ。
その腐敗した肉体の破片を、全身に浴びた神イザナギ。
さらに、その垢から、三神、スーパースターが生まれちゃったのです。
というわけで、本日お伝えしたいのは…
どんなに恥ずかしいことや、知られたくないことがあっても、大丈夫!
…ということです。
罪や穢れは、清らかな水に触れたとたん、高貴なものに変わるかもしれません。
お日様にあたり、樹木に触れるのも、禊(みそぎ)になります。
海や川に身を浸せば、なお良し。
シャワーを浴びるだけでもOKです。
世界は完璧
日々、色々ありますよねぇ。
思い通りにすすまないこと。
不愉快なこと。
心が折れそうになること。
悲しいこと。
出口の見えない迷いや悩み。
あるある、あります。
でもね、大丈夫なんです。
世界は、これ以上ありえないくらい、完璧に整えられています。
同時に世界は、混沌としたまま、フワフワと漂う儚(はかな)い夢のようなものです。
その完璧さと、儚さの両面をもつのが、世界というものです。
これまでも、何とかやってきました。
これからも、何とかやっていきましょう。
苦しみがあるから、楽しみを受け取ることができる。
悲しみがあるから、喜びを感じることができる。
世界は、やたらと乱れ、そして完璧に整っています。
私にはできないことがない
あなたには、できないことは、ありません。
…といわれたら、どんな気分でしょうか?
私には、できないことが、まぁ色々とあるわけですが。
ある観点では、私にはできないことがない、ともいえるようなのです。
世代の集合意識というのは、概ね10年ごとに大きく変化しているような気がします。
最近、とあるコミュニティで10代後半から20代前半の人々とお話する機会がありました。
非常に印象的だったのは「自分には、できないことがない」という集合意識です。
具体的には誰も「ぼく(わたし)には、できないことがありません」と言ったわけではありません。
複数の若い人と会話した私が、ただ、そのように感じたのです。
この「できないことがない」という意識を感じさせるものは、傲慢・慢心・横柄・自意識過剰・世間知らず・勘違い・といったものではありません。
世間がどう思うかとか、世の中の常識・慣習には意に添わなくても適度に合わせるとか。
バブルの時代を体験した世代が美徳としていたものに、まったく影響されない若い世代が生まれてきているようなのです。
自分にできることだけを、やる。
自分にできないことは、やらない。
それが当たり前。
できることだけを、やっているので、何でもできる。
できないことは、そもそも、やらないので「できない」ことがない。
これって、もしかしたら、すご〜く素敵なことなのでは?
生き物本来の、豊かな生き方なのでは?
人と比べないとか、自分を信頼するとか、色々な理屈をこねることもできますが…、やめます。
それより何より若い彼らの、清々しさと潔さに、未来への希望を感じたのでした。