人間関係というと、自分以外の人との関係だって、思いますよね。
でも実はね、もっとも悩ましいのは、自分という人間との関係なのです。
あなたは、自分が好きですか?
自分をちょっぴり好きになると、他人との関係は楽になっていきます。
自分との関係に、関係ありそうな、関係なさそうなミニ・エッセイを集めました。
- ~クジラの声~
- ~オタク・ヲタク最高~
- ~中途半端でOK~
- ~苦しみを楽しむ~
- ~「知る」とは、「知らない」に気づくこと~
- ~復讐するは我にあり~
- ~物欲と在庫管理能力~
- ~気合いの入れ方~
- ~お金の流れと心の流れ~
- ~否定的な言葉への対処方法~
- ~言祝ぐ(ことほぐ)~
~クジラの声~
超おませだった10歳の私は、三島由紀夫の「潮騒」を読んで「海女(あま)」になろう!と決意しました。
あのさぁ、意味、わかってる?と、過去の私につっこみたいところですが(笑)
何となく、周囲に受け入れられないことは理解していて、自分だけの秘密にしていましたが、とにかく、伊勢湾の海女さんになるんだと…。
もちろん、海女にはなれませんでしたが、今でもダイビングより素潜りが好きです。
遠くの海と、繋がっている感じがするから。
そして、生と死の境目を感じるから。
ところで、町田そのこ「52ヘルツのクジラたち」に号泣して以来、ときどきクジラの声を聴くようになりました。
https://www.youtube.com/watch?v=pUQjb7qk1zA
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心がざわつくときは、低音でこれを流しています。
爽やかでハッピーな感じではありません。
胸ぐらをつかまれるような、海底に引きずり込まれるような、切なさがあります。
切ないけれど、ずっと聴いていたい。
そのうちに、腹の奥底が満たされてくる。
海岸より、山奥の方が落ち着く私ですが、海の底は、もっと落ち着くようなきがします。
~オタク・ヲタク最高~
若い頃の私は、オタクって、苦手でした。
なんか暗い感じだし、仲良くなりたくなかったです。カッコイイものが好きで、オタクとは、カッコイイの反対側の人だと思っていたから。
今は、オタク最高って思います。
大好きなものや、興味のある何かがあって、それに時間やお金をしっかりかけて、そのことに詳しい人。
こだわりのある人、とも言えますね。
こだわる、は元々、些細なことに気持ちがとらわれすぎる、という否定的な表現らしいのですが。
反対側からみると、細部に配慮すること、自分にとって大切なことを大切にすることでもあります。
とにかく、興味のあることに熱中できるのは、素晴らしいことです。生きている実感そのものです。
オタク、最高です。
~中途半端でOK~
なにごとも「きちんと」したい、という人がいますね。
以前の私も、どちらかというと、きちんと片づけたいタイプでした。たとえば食事の済んだテーブルには、なにも置きたくない。洗い物が終わったシンクに、水滴が残っているのもイヤ。仕事も、区切りがつくまでやめられない。
もともと片付けが好きとか、几帳面というわけでもなく、かなりズボラなのです。ただ、翌朝の自分の機嫌をとるために、前夜の私が片付けをしていたのかもしれません。
あるとき、この「きちんと」片づけるというのも、ひとつの執着だと気づいてしまいました。
ねばならない。こうあるべき。の一種です。
「ぐちゃぐちゃ」より、「きちんと」の方が居心地はいいけれど、「ぐちゃぐちゃ」でもなんとかなります。
「きちんと」するために苦しいなら、「ぐちゃぐちゃ」のまま気楽な方がいい。
区切りをつけたつもりでも、何かが終わることは、次の始まりで、途切れはしません。
どんなことも、続きがあるので、きっちり終わらないんですよね。
無理に区切らなくても大丈夫。苦しかったら片づけなくても大丈夫。
中途半端なまま進んでいけば、大丈夫です。
~苦しみを楽しむ~
今、目の前に苦しいこと、辛いことがあるとき。
いくつか、できることがあります。
・その苦しみを、そのまま受け取り静かに耐える。
・人の苦しみを理解できるような自分になる。
・苦しみから抜け出すための方法を考える。
・苦しみから抜け出すために、具体的な努力をする。
・人に助けを求める。
・苦しみから意識をそらして、楽しいことを考える。
・苦しい自分をアピールして、周囲の同情を集める。
・創作のネタにする。
…あと、なにがあるかしら。
神やんによりますと、「苦しみ自体を楽しむ」という視点をもつのが良いそうです。
そもそも人生は劇場、エンタメなので、山場があった方が面白いのだそうです。
盛り上げどころなので、「キタ、キタ~ッ!」と、ワクワクするところなのだそうです。
…そう言われてもねぇ、と思い、また、そうかもねぇ、とも思った今朝のことです。
~「知る」とは、「知らない」に気づくこと~
何かを「知る」というのは、いかに「知らない」か、に気づくことですね。
身近な人の、意外な癖。
知っているつもりの大きな勘違い。
そして自分自身のこと。
ひとつの点を「知る」と、その周りには、ひとつの「知らない」宇宙が広がっています。無限の広がりに、呆然とするかもしれません。
でも、やはり、もうひとつ知りたくなる。で、また知らない世界が広がる。
なんと愉快なことでしょう。
これから「知る」、「知らない」ことが、まだまだ無限にあるなんて!
知っている小さな世界で、悩んだり迷ったりするのがバカバカしくなります。
この人生は、「知らない」を「知る」素敵な旅路。
今日も楽しんでまいりましょう!
~復讐するは我にあり~
ご存知かとは思いますが、「復讐するは我にあり」とは、新約聖書の中にある言葉です。
「我」とは、神様のことですね。
私たち人間族が「このやろう!むかつく!復讐してやる!」と思ったとき、ありがたき神様が、「ちょっと、お待ちなさい」と仰ったわけです。
「愛する人間たち、おまえたちは復讐なんて考えちゃだめだよ。それは私(神)の仕事だからね。おまえたちの行ないに応じて、それ相応の報いを、ちゃんと与えるから大丈夫。」
というわけで、私たち人間族は、自分の思考と言動に注意をはらっておけば、OKだということです。
他人の許せない言動は、大いなる存在が、ちゃんと報いてくださいます。
もし私たちが復讐などに手を出しますと、それが新たな因果となって、報いを受けることになります。仕返しをしたら、決してチャラにはならないのです。
先日、「仕返しをしないと、どうしても気が済まない」という方に、お伝えしたことです。伝わったかどうか分かりませんが…。
~物欲と在庫管理能力~
物欲とは、お金や物を自分のものにしたい、という欲望です。
物欲に従い、お金や物を手に入れてしまうと、次に、これを手放したくない、という所有欲が現れます。
失ったら、どうしよう、という不安や恐怖も出てきますね。
不安だから、もっとたくさん欲しくなります。
もっとたくさん手に入れると、もっと不安になる。
あぁ、これは、もう止まりません。
困りましたねぇ。どうしたら、いいのでしょう?
断捨離もいいですが、物を捨てたくない、と感じている人にとっては、ただ苦しいだけだと思います。
「自分の物とお金を、だいたい把握しておきましょう」だったら、あまり苦しまずにできるかもしれません。
「自分の物とお金」の在庫管理ができると、たいていの場合、心が落ち着いてくるようです。
在庫管理は、「ある」量にフォーカスするため、「ない」ことへの不安が消えるようです。
「ない」不安が消えると、「必要かどうか」の判断ができるようになります。
もうひとつ。
必要でなくても、心が喜ぶものは、ちゃんと手に入れた方が良さそうです。
~気合いの入れ方~
気合いとは「精神を集中させて事に当たるときの気持ちの勢い・気迫、またはその時の掛け声」だと、辞書にあります。
「気合い入れていこうぜっ!」「おーっ!」みたいな感じでしょうか。
個人的には、気合いとは、もっと静かなもののような気がします。
「気」が「合う」わけですから、自分を自分の気に合わせていくことや、他者の気を感じ取ること。
気合いとは、調和ではないかしら?と思うわけです。
そういえば、合気道とは、「天地の気に合する道」という意味でした。
よく自然とふれあい、今日も生かされていることに感謝し、機嫌よくいると、なんとなく「よっしゃ!」的な気分になってまいります。
これが「気合い」というものです。
~お金の流れと心の流れ~
お金とは、引換券のようなものですよね。
引き換えるものがあって、そこに価値を感じ、価値への対価として使われるのが、本来のお金だと思います。
価値に対する感謝の心を表すことができるので、お金は大変便利で、ありがたいものです。
お金を受け取る側は、相手の感謝を感じ、喜びます。受け取ったお金を使うとき、また新たな価値に出合い、お金を通じて喜びが循環するわけです。
心をこめて使うお金は、幸せ循環効果をもたらします。エネルギーの流れを円滑にします。
仮想通貨とかも、心を込めにくい感じですよね。
お金さん、いつも、ありがとう。
~否定的な言葉への対処方法~
んんんまぁ〜!よくぞ、そこまで!
と感服するほどに、人の気分を下げ下げに下げてくれる人って、いるんですよね。
相手を否定し、世間を否定し、愚痴悪口のオンパレード。
小さな世界に閉じこもった、悲しい人です。
絶てる関係ならともかく、そう簡単に拒否できない間柄であれば、なかなか…。
そんなとき、私が使っている技をご紹介します。
それは愛です。愛。愛の拒絶(笑)
否定的な言葉たちを、ひっくるめて愛で丸めこみ、跳ね返すイメージです。
おそらく、その(あの)人の心は傷だらけなので、傷だけにフォーカスします。
否定的な言葉は、「痛いよ〜、助けてよ〜」と置き換えます。
「痛いんだね〜、辛いよね〜」の愛で包みこみます。
愛で包み込んで、丸ごと送り返します。
受け取ると、こちらがしんどいですからね。
ただ愛でくるんで、投げ返すだけ。
愛は、けっこう、いい仕事してくれます。
~言祝ぐ(ことほぐ)~
あの人の話を聴いているだけで、なんだか気持ちが落ち着く…。
…ということって、ありませんか?
その人がもつ全体の雰囲気、人柄や声質の影響もあるでしょうが、やはり言葉そのものの、エネルギーが違うんですね。
お祝い、喜び、感謝を表す「言祝ぐ(ことほぐ)」という言葉があります。
「こと」は、「言葉」で、「ほぐ」は「ほぐす」なんですね。
言葉の力で、固まっていたものを、柔らかくするわけです。
言葉で「何か」を柔らかくほぐすのが、「言祝ぐ」。
大自然の怒りを、柔らかくほぐす(言祝ぐ)言葉が、祝詞(のりと)となります。
私たちは、神道の修行をしなくても、相手の心をほぐす言葉を使うことで、言祝ぐ、祝詞をあげることができます。
日常会話に祝詞をもちこむのは、ちょっと妙な感じがしますけれど。
私の言葉が、大自然への感謝となるように、と願うことで、とんでもない失言を避けられそうな気がします。
ちょっとした優しい言葉には、大きな力があります。
どうぞ、お近くの人の心を「こと」で「ほぐ」してあげてください。
大自然も、さぞお喜びになるでしょう。