感じる力を思い出す
感じる力を思い出す練習は、続いているでしょうか?
あなたには、もともと見えないものを感じる力が、ちゃんと備わっています。
身体の内側に心臓がありますね。
皮膚の外側にも、ハートがあります。
この二つは、もともとひとつだったのに、分かれたままの人が多いようです。
内側と外側のハートをつなぎ、ひとつの大きなハートをイメージしてみてください。
このイメージに注目していると、だんだんハートのサイズが大きくなって、バランスボールくらいになりますよ。
どうぞお楽しみに。
認識力と太陽の光
一般的に【認識力】とは、外側からの刺激や情報によって知覚したものを、判断したり解釈したりすること、と言われています。
私たちが日常的に抱えるストレスのひとつは、他人との認識が異なること。
もうひとつは、自分の認識を信頼できないことです。
霊感を磨きながら認識力を使うと、これらのストレスは消えていきます。
・自分の認識と、他人の認識を比べない
・自分の認識は変化する、と自覚している
・自分の認識を正誤で判断せず、いったん信頼する
・自分の認識への信頼が揺らいだときは、判断しない
私たちは誰でも、太陽の光を見ています。
太陽の光を見よう!と思ったら、雨の日だって太陽の光は、そこにあります。
でも、太陽の光を見るか見ないかは、自分で決めているのです。
見たくないなら部屋に閉じこもり、布団をかぶって目をつぶる。
見ない、という選択もあるわけです。
見ようとしなくても、ふと、太陽の光が目に入ってくることもあります。
「偶然」という言葉で片づけたくなりますが、実は、ある選択の結果として太陽の光を見ているのです。
その選択とは、「太陽を見ないという選択」を、「選ばないという選択」です。
布団のすき間から、うっかり窓の方を見てしまったとします。
カーテンのすき間から、太陽の光が差し込んでいる。
光を見る段階、つまり窓の方に目を見る段階に達し、太陽の光を見るわけです。
太陽の光を認識するには、布団のすき間から顔を出す、というステップが必要です。
霊感の認識においても、同じような段階があります。
恭順とは
霊感を磨くためには、魂の中に「恭順」という感情を育まなくてはなりません。
どうせ
べつに
んなわけないじゃん
ありえねー
意味わかんない
はぁっ?
…というような感覚の、反対側にあるもの
心から憧れと敬意を抱くこと
つべこべ言わず素直に受け入れる感覚
自然に湧きあがる親愛の情
…というような感覚
生まれながらに美しき魂をもつ高貴な方々もいらっしゃいます。
でも高貴でない私たちは、そう簡単に恭順の感情なんて抱けないものです。
というわけで、恭順の感情を自力で育てなくてはなりません。
自己教育ってやつですね。
積極的かつエネルギッシュに、恭順の感情を育てるのです。
私たちは他者を、つい批判したり断定したり、裁いたりしがちです。
そんな大人を見て育った子どもたちも、、何かを心から敬うことがも苦手なようです。
霊感を育てるには、魂の筋力を鍛える必要があります。
・尊敬の心
・恭順の感情
・畏敬の念
・魂の躍動感
現代社会を構成する、制度や産業や教育は高度に発達しました。
しかし、その代償として私たちは、霊感や霊的な生活様式を、手放してしまったようです。
批判的精神の中にいる限り、目指す世界は高まらず、低いところに留まったままです。
まずは自分の中にある
「べつに~」
「どうせ~」
的な感情を認識することが、私たちに必要な「認識力」の土台となるのです。
つづく
理解と共感を表す音
圧力や制約を受け入れるエネルギー
豊かな心を育てる