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【ひとりでいるって素敵なことね】孤独を愛するあなたへのミニ・エッセイ集

あなたは孤独を恐れていませんか?

 

孤独であること、ひとりでいることは、とっても素敵なことなんです。

 

心のすき間を埋めるために会いたくもない人と出かけてみたり、ヒマな時間を埋めるためにSNSを見続けたりしても寂しさは消えないはずです。

 

あなたの一番の親友は、あなた自身。

 

このミニ・エッセイでは、自分と仲良くなるためのヒントをお届けします。

 

 

【ひとりでいるって素敵なことね】孤独を愛するあなたへミニ・エッセイ集

素敵なおひとりさまライフを楽しく過ごすヒントとなりますように。

 

ひとりでいるって素敵なことね

い~つ~ま~で~も~♪
ど~こ~ま~で~も~♪

 

かの有名な昭和の歌謡曲には「ひとりじゃないって素敵なことね」という歌詞がありましたね。

 

ひとりじゃないって素敵なこと、なのですが。

ひとりでいるって、もっと素敵なことです。

 

自分の中にいるもう一人の自分と秘密の対話をする』という楽しみを知っていただきたいと思います。

 

わたくしごとですが、ひとり時間を大切にし過ぎて夫婦関係をややこしくした、という経験が何度かあります。

 

これは孤独を愛し過ぎた失敗例(笑)です。

 

迷ったら寝る・悩んだら寝る

誰にも相談できない悩みがあって、ひとりでクヨクヨしている。

…としたら思い切って誰かに相談してみる、というのもありです。

 

とことんクヨクヨして、どうなるか待ってみるのも、ありですね。

 

ものごとにはタイミングがあるので、待つことで解決する場合もある。

時間が薬になって、悩みが小さくなる場合もあるでしょう。

 

どれも正解のようですが、どれも「これだ!」という感じがしない。

としたら、もうひとつの道があります。

 

とりあえず、寝ちゃうのです!!

 

なかなか眠れなくても、横になって目を閉じる。

めちゃめちゃ忙しくても、15分だけ寝てみる。

 

迷ったり悩んだりしているときは、たいてい心が疲れています。

だから「決める」というエネルギーが沸いてこないのです。

 

ちょっとだけでいいから、寝ちゃいましょう。

少しはマシになるはずです。

 

怒りとの付き合い方

怒りのあるときは、ひとりでいるのが一番です。

 

怒りを消そうとしないで、自分の怒りをじーっと見つめてください。

 

怒りの対象(ムカつく相手・残酷な事件など)について考えるのではなく、ただ自分の中にある「怒り」を、ひとつの物体であるかのように、じーっと見つめます。

 

どうですか?

その「怒り」は、あなたにとって大切なものですか?

 

大切だと感じるなら、そのまま、この怒りを大切にとっておきましょう。

 

あなたの中にある「何か」大切なものが、その怒りを生み出したのですから、怒りも大切にしないとダメです。

 

もし「本当は怒りたくない」と感じるなら、怒っているのは一時的な自分です。

 

本当の自分は怒りたくないので、しばらくすると元の自分に戻れます。

怒りは小さくなって、いずれ消えるでしょう。

 

自分の怒りをじーっと見つめても、何も感じないときは危険です。

 

自分以外の意識体(悪意とか怨念とか生霊とか)が、あなたを使って怒りを発散しているかもしれません。

 

■怒りとの付き合い方まとめ■

  • 怒りに対して「大切」と感じる:そういう自分を信じる
  • 「本当は怒りたくない」と感じる:一時的な怒りなので、待っていれば消える
  • 何も感じない要注意!深呼吸して身体を動かし邪気を払う。手をパンパンと叩くだけでも効果あり!

 

褒めどころを探せ!

いつも朗らかで、周囲からの信頼も厚い、ひとりの素敵な女性がいます。

 

けれど彼女は、自分に自信がなくて、孤独で寂しくてたまらない。

だから誰かに誘われると疲れていても、ちょっと苦手な人とでも、お出かけしてしまう。

 

その結果は、あまり楽しくなくて、さらに自分はダメだと落ち込む。

 

彼女は「自分はダメ」という大きな勘違いで、ずっと悩んでいるわけです。

もったいないですよねぇ。

 

というわけで彼女には、自分の褒めどころを探してもらいました。

が、見つからないというので、代わりに私が探します。

 

「これ、できてますよね。誰でもできることじゃ、ありません。」

「これも、続けていますよね。すっごいことですよ。」

「あのとき、あの人が喜んだのを覚えていますか?」

「あの日は、あんなに辛かったのに、ひとりで乗り切りましたよね?」

「今日も、笑顔が可愛いですよ。」

「一緒にいると、楽しいですよ。」

「健康ですよね。」

「子どもたちも、健康ですよね。」

…と数え上げていくと、やっと彼女は自分の褒めどころに気づき始めました。

 

特別な才能とか、人より優れたところとか、そういうことじゃないんです。

 

自信とか夢とか将来の展望とか、そんなの、なくても全く問題ありません。

 

この2つを真剣に続けると、ほとんどの悩みは消えますね、ほんとに。

①自分ができることを淡々と続けて、ときどき自分をしっかり認めて、褒める。

②今日も生かされていることに、感謝する。

 

オキシトシン誘発リスト

幸せホルモン・オキシトシンの分泌を、意識でコントロールできたら安心ですよね。

 

見る、触れる、思い出すだけで胸がキューンとなるものを装備しておけば、オキシトシンの分泌を自力で管理できそうです。

 

…できないかしら?

…できそうですよね?

 

愛犬・愛猫の幼い頃の写真、大好きなチョコレート、窓から眺めるお月様。

 

まずは、オキシトシン誘発リストを作ります。

 

でも作っただけでは、ダメです。

 

心の非常事態にあっても、リストにたどり着けるような仕組みを作っておかなくちゃ。

 

リストのメモを薬箱に入れておけば、頭痛薬を出すときに見つかるかもしれません。

冷凍庫の保冷剤に貼っておけば、大泣きして目が腫れたときに思い出すかもしれません。

 

苦しい記憶や悲しいできごとは、なかなか忘れられないけれど、ちょっとしたワクワク感は消えてしまいやすいものです。

 

■落ち込みやすい人のための装備■
①自分専用オキシトシン誘発リストを作成する
②リストを思い出すためのヒントを用意する

 

スマイル・サプリ

何をやってもうまくいかないとき。

どうしようもなく辛いとき。

なんだかイライラ・ムカムカするとき。

 

そんなときのお助けアイテムは「スマイル・サプリ」です。

 

笑顔は周囲の人を幸せにしますが、それ以上に自分を幸せにします。

笑顔には即効性があり、副作用ゼロの栄養補助食品みたいなものです。

 

心からの笑顔は最高ですが、まずは形から。

ひきつっていようが、目の奥がメラメラしていようが、そのままで大丈夫。

 

顔の筋肉を笑顔の形にすると、脳が「あ、これは嬉しいやつ」と誤解してくれます。

筋肉への刺激によって、脳をだますわけですね。

 

脳が「幸せ筋」の動きを察知し幸せホルモンを分泌するので、なんだか幸せな気分になる。

脳はシステムですから、うまいこと取り扱うと、いい感じに動いてくれます。

 

とにかく無理やりにでも、顔を笑いの形にするだけ。

瞳の奥にある怒りや悲しみも、ちょっぴりずつ薄まってゆきます。

 

  • 即効性あり、副作用なし
  • コスト・ゼロ
  • 環境にも優しいスマイル・サプリ

 

どうぞお試しください。

 

明けない夜はない

「明けない夜はない」という言葉があります。

 

この私の真っ暗な夜は、明けないのでは?と不安になることも、きっとあるでしょう。

 

でもね。

裏と表があるように夜が存在するならば、朝も昼もある。

生きている限り、夜の次は朝で、また夜になる。

 

明ける直前の暗さは、ひときわ暗さを増し、朝を際立たせるための助走のようなもの。

待っていたら大丈夫。

 

暗闇の中で怯え、不安が膨らんでいく。

その今こそが朝の直前です。

 

あと、もう少しだけ待ってみてください。

 

心の整頓方法

「整理」と「整頓」は、どちらも整える、きれいにするという意味があります。

 

が、整理の「理」は、あるべき姿です。

あるべきでないものは処分する感じですね。

 

一方、整頓の「頓」は、ひざまずく姿です。

その場に丁寧に落ち着く感じです。

 

ココでは、整理ではなく【整頓の話】。

 

心の中に、お気に入りのドロワーとかチェストみたいなものがあったら素敵だと思いませんか?

 

それぞれの引き出しに、自分にしか見えないラベルが小さく貼ってある。

小さな幸せの引き出し。

大好きな人からもらった、大好きな言葉の引き出し。

 

…ワクワクしますね。

 

悲しみの引き出し。

嫉妬とか憎悪とか、ドロドロした黒い気持ちの引き出し。

 

…こういうの、捨てちゃうのもありです。

けど、そう簡単に忘れられないものだから、丁寧に畳んで、そっと引き出しに入れておくのも、ありですよね。

 

引き出しに入れるので少し遠くから眺められるし、ドロドロした感情も自分の一部ですからね。

 

必要があって起きる感情ですから、そのまま大切にそぉっと置いておきます。

 

ひとつか、ふたつか、みっつ、空っぽの引き出しをとっておきましょうか。

ここには、きっと何か素敵なことが飛び込んでくるはずです。

 

「人様のため」という傲慢

たいして気も乗らないのに、誘われて出かけることってありますよね。

 

行く先に誰かが待っているから、その人のために、みたいなこと。

けど本当は行きたくない。

 

でも行くって…それで、いいの?

それって、傲慢じゃない?

 

相手のためを思って、とか相手が望んでいるから、とかって実は傲慢なんじゃない?

 

心から相手の幸せを望んでいるなら、相手の望みを叶えることにワクワクすると思う。

 

相手の幸せを望むフリしてイヤイヤ何かをしても、そんなの相手に通じるし自分も幸せじゃないし。

 

な〜んにも、いいことないような気がします。

 

ワクワク感で動いた結果、相手が喜んでくれるなら、お互いの幸せは広がるでしょうね。

 

自分の心地よさも守れずに、自分以外の人に心地よさを届けられるわけがない。

まずは自分の心地よさを、しっかり味わうことですね。

 

他の人のことは、その後のことです。

 

気乗りしないお誘いは、丁寧にお断りしましょう。

 

人と人のすき間

暖炉って、いいですよね。

 

暖炉の火を、うまく起こすのには「すき間」が大切です。

薪と薪がくっついていると、うまく燃えません。

離し過ぎても燃えない。

 

ちょうど良く、少~し離してあげると、うまいこと燃えるのです。

 

薪のすき間を広げると炎は小さくなり、また近づけると勢いを取り戻す。

炎は、薪と薪のすき間で、情熱的なダンスのように揺らめきます。

 

暖炉の前には、椅子を何脚か置いてみましょうか。

その椅子と椅子の間にも、ほどよい「すき間」があるといいですね。

 

間(ま)
すきま
スペース
空間
間隔

 

人と人の間に、できごとと心の間に、過去と今の間に。

すき間をあけて、風を通しましょう。

くっつき過ぎると苦しいです。

 

人との関係に疲れたら、とにかく、ひとりでいることです。

 

恐怖への対処方法

私たちは、様々な恐怖を抱えて生きています。

 

ジワジワと忍び寄ってくることもあれば、突然に襲ってくることもあるでしょう。

正体不明の恐怖も、また耐えがたいものです。

 

恐怖は縄だ」というのは、あるアメリカ先住民の長老の言葉です。

 

恐怖は自分の心を縛る縄であり、その縄の両端を握っているのは自分自身だというのです。

 

自分で自分を恐怖という縄でグルグル巻きにし、縄の両端を自ら握りしめて自分を固く縛りつけているのだ…と。

 

心を縛られると、身体も動けなくなります。

自分で自分の心を縛り、自分の身体を縛っている。

 

縄を緩めるには、どうしたらいいのか?

 

長老いわく。

声の力を使え!と。

 

大声で叫ぶと、声の力が恐怖の縄を断ち切り、身体の自由を取り戻せる。

 

思い込み・刷り込み・劣等感・羞恥心・嫉妬・怨み・自己憐憫なども、恐怖の餌ですから、自分を縛る縄でもあるわけです。

 

恐怖を感じたら、この「縄」のことを思い出してください。

 

縄を握った手を緩めるだけで、縄は消えてしまうのです。

身体は、ちゃんと動きますから安心して縄をほどいてしまってください。

 

考えごと・思考・妄想

考えごとをしているとき、私たちは何かしら行動している気分になります。

 

「考えごと」という仕事に専念している感じですね。

その考えごとの先に、変化・希望・歓びは、ありそうですか?

 

「なぜ自分だけが、こんなひどい目にあうのか」というような考えごとは、出口のない迷路のようなもの。

考えたところで楽しくなりそうな気がしません。

 

脳という仕組みを、身体を動かすように使って考えるという方法はあります。

動きを加えることで、その考えごとは妄想から思考に変わります。

 

何かを意図することで、その考えごとを揺すぶってやるわけです。

 

考えごとは、実は妄想であることが多いのです。

「どうしよう、どうしよう。」

「こうなってしまったら、どうしよう。」

「こうならなかったら、どうしよう。」

…こういうの、ほとんど妄想ですね。

「どうしたら変えられるか?」

「何をすれば抜け出せるか?」

「この方法は使えるか?」

…という考えごとは、妄想ではなく思考になります。

 

思考という考えごとは、本来ワクワクするものです。

ワクワクする考えごとは、感情をゆさぶる思考なのです。

 

ある脳波実験の結果で「考えごとをしてください」と指示された被験者の脳は、
ほとんど活動しなかったそうです。

 

感情に振り回されるのではなく、自らの思考によって感情をシェイクする。

感情(ワクワク感)を土台に、思考を積み上げる感じです。

感情と共に、豊かで楽しい思考のひとときをお過ごしください。

 

価値観と欲求のバランス

あらゆる条件・制約を全部とっぱらい『でも』とか『だって』と言い訳なしで、

「これが大切!」と感じるのが、価値観。

「これが好き!」と感じるのが、欲求。

 

価値観は、人それぞれ…もちろん、その通りです。

 

でも、ひとりの人の価値観は、時代の影響や環境の変化、自身の成長などによって
変わっていくものです。

 

今一番大切な「今の価値観」の核に据え、二番目や三番目に大切なものもちゃんと大切にしたらいいと思います。

 

何かに迷っているときは、価値観が揺れている最中です。

 

今の価値観(大切なもの)にフォーカスすれば、『やる』か『やらない』か迷わず選べるようになります。

 

『やらない』という選択も、一歩踏み出すことのひとつです。

 

職業とか年齢とか家族構成とか収入とか体重とか趣味とか、いったん脇に置きましょう。

 

あなたは一体なにものでしょうか?

あなたは今、どんな生き様を生きていますか?

価値観と欲求を、意識していますか?

価値観と欲求のバランスはとれていますか?

 

価値観の優先順位は変化するし、欲求に関する行動は調整可能です。

価値観と欲求は一致しなくて良いのです。

 

価値観と欲求のバランスをとりながら、少しずつ近づけていくと人生が楽です。

「大切」と「好き」が近づくと、毎日がとても楽になります。

 

もうあきらめよう

どう誠意を尽くしても『やはり通じない』という人がいますね。

 

こちらの真心や誠意が足りないのか?

どこかで相手を疎ましいと思っているのか?

 

どうしても自分を疑ったり、責めたりするものです。

 

でもね、もう、誠意は尽くしました。

もう諦めていいんです。

自分を責めなくていいんです。

 

は〜、疲れた。

ここまで、やったもんね。

好きじゃないけど、嫌わない努力はしたよね。

グイグイ・ズカズカ他者の領域に踏み込んで、もっともっと、と求める人に、もう関わらなくていい。

 

分かり合いたいと願うこと自体が、こちらの欲やら傲慢さだったかもしれない。

 

異なる周波数で生きている人と、うまくやれるはずがない。

はっきり諦めたら、優しい気持ちで別れられそう。

 

あの人の人生は、あの人がつくる。

あの人と遭遇したという経験も、私が選んだシナリオ。

 

舞台は変わりました。

次に進みましょう。

 

目標と目的

目標とは、目的を達成するためにクリアすべきステップ。

目的とは、ありたい姿・理想・最終到着点。

 

…といわれていますが、どうなんでしょうね?

 

仮に、「人を幸せにする」という目的があるとしましょう。

崇高な目的です。

素晴らしい。

 

では、人を幸せにすると、自分はどうなるのか?

自分も幸せに、なりますよね?

 

だったら「自分を幸せにする」のを目的にした方が、自分に正直で楽しい感じがします。

 

私は自分を幸せにする。

そのために生きている。

 

などと言えば、自己中心的でわがままだと、思われるかもしれない。

まわりの雑音や評価、不要な情報によって、つい「自分より他人」という嘘をつく。

 

正直にいきましょう!

自分の幸せが一番。

 

幸せタンクを満たし、もっと幸せになって、溢れた幸せで人を幸せにする。

よし、これで目的は完璧!

 

次は目標です。

仮に、第一の目標を「毎日瞑想する」としましょう。

 

自分を幸せにするという目的で、頭をからっぽにして自分の内面の声を聴く。

…って、素晴らしいけど、そんなに簡単にはできません。

 

第一の目標は、ちょっと背伸びしたら届きそうなところに置くのが鉄則です。

 

でね、目標には欲望と願望が大事と思うわけです。

欲望と願望は、うまく使えば大きな力になります。

 

『好きなことワクワクするようなこと』をひとつだけ選び、ちょっぴりハードルあげてやってみるといいです!

 

どうぞの箱

先日、友人(1)が自宅の前に「どうぞの箱」を設置しました。

 

年間200日以上を海外で過ごし、ときどき湘南に戻ってきます。

アンティーク雑貨を扱うため、商品としてはイマイチだけど素敵なものが溜まってきます。

 

愛着のある品々とはいえ、自宅が倉庫化してきたため「どうしよう?」と相談されました。

 

私は、深く考えもせず「欲しい人に、あげたら?」と答えてしまい、同席した別の友人(2)に厳しく叱られました。

 

商品価値のあるものには適正な値段をつけ、欲しい人に買ってもらう。

 

買った人は対価を払うったことで、その品を大切にするのだから、むやみに「あげる」のは罪である!

と友人(2)がド正論を言った。

 

対価のあるなしは、ものの提供側より受け手の心に影響しますからね。

 

「でもさぁ…。磨いて、値付して、レンタルスペースに持ち込んで、売れ残りを回収して…って考えると、やっぱり処分しよっかなぁ…」と友人(1)。

 

「そんなの、もったいないよ。だったら、私がやる」と友人(2)。

 

(1)「だったら収益も、あげる」
(2)「そんなの、もらえない」

 

というような、やりとりの後、二人はもうどうでもよくなったらしい。

 

「じゃあさ、とりあえず天気もいいことだし、家の前に『どうぞ』って書いて
置いてみたらどう?」と言ったのは、お気楽な私。

 

友人(1)と(2)は突如やる気を出し、「どうぞの箱」に色々詰め込んで玄関前に置きました。

 

それから、飲んだり食べたりしゃべったりした夕暮れに、なんと「どうぞの箱」は、ほぼ空っぽになっていました。

 

翌朝、友人(1)の家には何度も見知らぬ人が訪れ、ピンポンに応えるたびに地元の野菜やら魚介やら手作りの煮物やらパンやら日本酒お試しセットなど色々届いたそうです。

 

「どうぞの箱」は、意図せず物々交換マーケットになってしまいました。

 

お礼が欲しいわけじゃないけど不在の多い家だから、ご近所さんとつながって嬉しかった、って。

 

なんか、いい感じです。

 

さらに嬉しいことに、お礼の品々のお裾分けを、友人(1)が私のところにも送ってくれるそうです。

楽しみ♪

 

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