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【禅に学ぶコトダマ】幸福で平和に生きるためのミニ・エッセイ集

幸福で平和な人生なんて、そう簡単に手に入らないと思っていませんか?

 

幸福と平和は、実はあなたの中にあるんですよ!

自分の中にある幸福と平和に気づくためのヒントは、禅の言葉の中にたくさん盛り込まれています。

 

Apple創業者スティーブ・ジョブズの人生にも大きな影響を与えたと言われる【禅】。

 

この記事では【禅】についてコトダマ・メッセージと合わせて分かりやすくお伝えしていきます。

 

 

【禅に学ぶ】幸福で平和に生きるためのミニ・エッセイ集

仏教や禅宗の話ではありません。

幸せに、穏やかに暮らすためのヒントをお伝えしていきます。

1: とにかく自分でやってみる

典座教訓」という本をご存知でしょうか?

禅の世界では、超大物である道元の言葉が綴られたものです。

 

恥ずかしながら私、マクロビオティックや自然食にハマっていた時期に、精進料理の教科書と勘違いして購入したのです。

 

実際に読んでみると、そこにはコトダマ・エネルギーが満ちあふれていました。

 

典座(てんぞ)というのは、禅宗のお寺で修行される食事係(役職名)です。

仏様、ご先祖様と修行僧たちのために、食事の支度という形で修行をなさる人々の呼び名。

 

道元が宋(10~13世紀の中国王朝)で出会った、ある老いた典座の言葉は有名です。

 

「先輩、そんな仕事、大変ですよ。

誰か若いもんに、やらせたらどうですか?

今、すっごく暑いし、後でやるとか…。」

 

みたいなことを、道元さんは言ったらしい。

 

老いた典座は

「他はこれ我にあらず」

「更に何れの時かを待たん」

と応えました。

 

「自分でやらなきゃ意味がないだろ!」

「今じゃなくて、いつやるんだよ!」

 

ってことでしょうね。

 

自分で体験しないと、知ってるだけじゃ、な~んにも分からないよ。

 

自分の中にある幸福と平和は、あらゆる体験によって気づくものです。

 

マインドフルネスとか、今を生きるとか、言葉を知っているだけではダメなんです。

 

体験しているときだけは、誰でもマインドフルネス状態で、今を生きていることになります。

 

ちなみに、道元というと「曹洞宗の開祖・道元禅師」と書かれていることが多いのです。

が、これを見たら道元さんは

「○○宗とか、開祖とか、禅師とか、とんでもねぇ!」

とお怒りになるでしょう。

 

そういう肩書きみたいなものを嫌う、実行と実践の勇者だったようです。

 

2:「禅」のコトダマ

「ゼン」と読む漢字は色々あります。

 







 

コトダマの世界では、読みが同じ言葉には共通のメッセージがあると考えます

 

禅とは、

善(よいもの)
全(すべて)
前(見る方向)
然(そのまま)
膳(おそなえ)
蠕(微細な振動)

でもあるわけです。

 

「ゼン」のコトダマ・メッセージは

あらゆるものを静かに引き受け、あらゆる方向へ強く放射する光

です。

 

禅は【ALL】なんです。

 

3: OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)

OSHOの名で知られる、バグワン・シュリ・ラジニーシの著作「究極の旅―和尚、禅の十牛図を語る」は、めちゃめちゃ分かりにくいです。

 

私は若き日に、哲学を語るのが好きな年上の俳優からこの本を勧められました。

 

当時はその人に憧れていたので、わけのの分からないままとにかく読みました。

 

今も分からないまま、でも忘れられずにいます。

 

十牛図には、10枚の絵とほんの少しの言葉があるだけです。

逃げ出した牛を探す旅は、本当の自分、つまり真の自己を探すこと。

 

分かったような、分からないような、高尚な感じです。

 

「ウシ」のコトダマは

生まれること、生きること、成長すること、暮らしに欠かせないもの

というメッセージを伝えています。

 

やっぱり、よくわからないけれど、ウシさんは幸福と平和の象徴なのかもしれません。

 

4: トラブルの元ネタを断ち切る

道元が残した言葉に「前後際断(裁断)」というのがあります。

 

禅語で前後…ってダジャレみたいですが、ダジャレを侮ってはいけません。

同じ音には必ず『共通する何かがある』というのがコトダマ界のお約束です。

 

前後とは、未来と過去を表します。

前後、つまり、未来と過去をバッサリと断ち切れ!というわけです。

 

まだ起きていないことに対する不安は、未来からやってきます。

怒りや悲しみ、後悔や嫉妬、あらゆる悩みは、過去からやってきます。

 

未来と過去を断ち切ると、不安と悩みが消えてしまうんですね。

未来と過去を断ち切ると、今に生きる、マインドフルネスの状態になりますね。

 

「ゼンゴ」のコトダマは、かなりパワフルです。

強くてポジティブな、エネルギーの塊。

ピカピカ、キラキラ輝いています。

 

5: 欲と怒りと無知

人間の感情には、1000(千)を超える種類があります。

 

その1000種類の元は、たった3つの感情です。

ひとつ、欲。

ふたつ、怒り。

みっつ、無知・愚かさ。

 

みっつを合わせて「三毒」「貪瞋痴(とんじんち)」といいます。

 

欲と怒りと愚かさは、決して消えることがありません。

 

次々に現れ、暴れまわり、次第に心を蝕む三毒と、どう付き合ったら幸福で平和な人生を送れるのでしょうか?

 

唯一の方法は、ひとつずつ、気づいて手放すこと

 

あっ!ここにある。と、気づいたら、手放す。

わっ、ここにも、また。気づいたら、これも手放す。

 

ひとつやふたつ手放したところで、まだまだ大量の欲と怒りと愚かさがあるのですが。

 

ほったらかすと、どんどん増えますから、とにかく、ひとつでも手放さなくちゃ!

 

そんなの無理~、って思うかもしれませんね。

でも安心してください。

 

親鸞聖人(法然上人の弟子、浄土真宗の開祖、本当の幸福を追求した人)も三毒に悩み続けたといいます。

 

イイ女を見ればフラフラと吸い寄せられ、先輩から意地悪されてはグチグチ愚痴り、後輩がサボればムカムカとムカついて、ずいぶん悩まれたようです。

 

悩んだ末に、

毒を抱えたままでも、それを自覚してさえいれば、人にかける迷惑がちょっとばかり減るかもしれない、

思ったのだそうです。

 

ちょっとはマシ、という程度で、いいのかもしれません。

欲もあり、怒りもあり、愚かではあるけれど、それに気づいていれば、いくらかマシです。

 

気づいて、ひとつ手放すと、かなりマシになります。

幸福と平和に向かう一歩は、ほんのちょっとずつで大丈夫です。

 

6: 山、森、大自然の静けさ「鳥啼山更幽」

夢で見た、山奥の情景です。

 

背の高い木々にワサワサと葉が生い茂り、日の光も届かない深い森の中を歩いていました。

私を導く小さい光は、私のハイヤーセルフ「神やん」です。

 

突然、鳥のさえずりのような、ピーっと高い音がして、それからシーンとなって。

その静けさと言ったら、「静けさ」という生き物が私を取り囲んでいるようでした。

 

底なしの悲しみと、同時に爽快な気楽さ。

ひとりぼっちなのに、みんながいる、という感じ。

 

目覚めて思い出したのは「鳥啼山更幽(とりないてやまさらにしずかなり)」という禅語です。

 

大自然の静寂を、鳥の鳴き声が破った後、以前より深い静寂に包まれる。

小さな刺激によって、元々あったものに気づく、ということですね。

 

ひとりでいることが好きで、ひとりの時間を大切にしている私ですが。

ひとりの時間を、存分に味わっていないときもあります。

 

せっかく確保した、ひとりの時間なのに、考えても仕方ないことを考えたりします。

ひとりの時間は、大自然と、自分自身と一緒にいるためのもの。

 

ひとりの時間をどれだけ楽しめるかで人生の幸福度と平和は、大きく変わっていきます。

 

7: 負けず嫌いな人のための「放下着(ほうげちゃく)」

負けるが勝ち、という諺(ことわざ)があります。

 

これは、

  • 争いを避ける
  • 相手に勝ちを譲る
  • 最終的には自分の利益になる

という意味です。

 

負けることによって、勝ちを狙っているわけです。

結局、勝ちたいんですね(笑)

 

ここで「放下着(ほうげちゃく)」という禅語をご紹介しましょう。

 

放下とは、捨てること。

は、キッパリとかハッキリというような意味です。

 

「きれいさっぱり捨てちゃいな!」みたいなことですね。

 

何を捨てるのかというと、なかなか捨てられないけれど、捨てたくてたまらないもの。

ずばり、執着!です。

 

執着というのは、活動のエネルギー源にもなります。

が、大抵の場合、ストレス源になってしまいます。

 

他者との比較、つまり勝ち負けで物事を見るとストレス(執着)になります。

積極的に負けを選ぶことで、自分を幸福と平和で満たすことができるのです。

 

負けることは、水のようになること。

低い方へと流れ、たどり着いた場所を潤してくれる水。

 

水のように生きることは、人として最上の幸福と平和を手に入れることです。

 

上善如水(じょうぜんみずのごとし)」とは、

老子が、理想の生き方を簡潔に表した言葉です。

 

自分らしく、ありのまま、のびのびと生きること。

与えられた道を、淡々と歩くこと。

 

人のためになることがあれば、喜んですること。

勝ち負けという争いから離れ、自然体でいること。

 

今、この瞬間にある幸福と平和を楽しめるようになると、毎日が楽しくてたまりません。

 

8: 禅語「柔軟心(にゅうなんしん)」

心が柔らかく、しなやかなであれば、それだけで人生の幸福度がアップします。

 

というわけで、私の柔軟心キープ術をご紹介しましょう。

 

ちょっとだけ早起きして、心にゆとりを与える

(寝坊した朝こそ、前日までに蓄えた柔軟が活かされるのです。)

 

そして今日という新しい世界と、今日の新しい自分の出会いを喜ぶ

 

今日も目覚めた。
今日も生きている。
嬉しい!!

 

新しい世界とは、

新しい風(空気の入れ替え)
新しい光(太陽を見る)
新しい水(洗眼・洗鼻・洗口・排泄・摂水)
新しい力(深呼吸)
新しい静寂(瞑想・踊り・ヨガなど)
新しい環境(掃除)

 

つまり、日常の暮らしを整える行い、そのものです。

 

いくつもの奇跡が重なり、眠りから目覚め、蘇った肉体を新しい空間へ運ぶ。

これは、朝の散歩ですね。

 

毎朝、こんな風に暮らせるわけでもありません。

が、ときどき意識することで、心の柔軟性を保ち柔軟心を蓄えることができます。

 

小さなトラブルやアクシデントがあっても、ニッコリ笑ってやり過ごせます。

 

そんなお話をしています。是非お聴きくださいませ。

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9: 観音様の話

僧侶でもある心理学の師匠から、観音菩薩に関する教えを受けた記録があります。

 

観音菩薩とは、観自在菩薩、または観世音菩薩の略称。

あらゆる物事を自由自在に観取る。

ゆえに衆生(しゅじょう)生きとし生けるものの困りごとを察知して助けてくださる。

必要に応じ姿を変え、十一面観音や千手観音、馬頭観音として現れる。

 

このとき師匠は、観音様のお仕事についても話してくださいました。

 

「観音経を唱えるだけで、何でも叶えてくれると思ってる人がいるけどね。

それは違うんですよ。あなたが困っているとき、苦しんでいるとき、近くに観音様がいます。

ずっと傍にいて、あなたの話をよく聴いてくれます。ず〜っと傍にいて、よ〜く話を聴いてくれるのが観音様の仕事。

だから、あなたも人の傍にいて、よく話を聴いてあげなさい。

それを続けたら、あなたも観音様です。」

と、概略このようなことです。

 

相談業を続けるか否か、迷っていたときのことです。

は?観音様?わたしが?

 

いやいや、ず〜っと傍にいて、よ〜く話を聴くことが、ちょっと辛くなっているんですよ。

 

これを、ず〜っと続けるのは、ちょっと苦しいかも…。

でも、ちょびっとなら、できるんじゃない?と思った記憶があります。

 

さぁ、みなさんもご一緒に、観音様のお仕事を少しだけ、まねっこいたしましょう!

 

10: 瞑想する絵画

瞑想する絵画と表現される、マーク・ロスコの作品。

 

あの暗褐色というのか、砂色や、くすんだ茜色のカラーフィールド。

絵画に詳しくない私であっても、身体が動かなくなるような力強さ。

 

潔く逞しくありながら、同時に弱音を吐き、うなだれる少年のような印象もあります。

 

あの色彩には、やはり曖昧さのもつ力を感じます。

 

むやみに考えすぎないこと。

抽象度を上げて生きること。

とりあえず笑顔でいること。

 

あと、何でしょうねぇ?

 

なんとなくイイ感じや、なんとなくイヤな感じを繊細に掬いとること。

 

やりたいことがあったら、とにかく、やってみること。

あれほどまでに力強い色彩が、きちっと四角形に収まっている不思議さ。

 

絵画は平面的でありながら、立体的でもあるように、平坦でありながら、起伏に富んでいるのが人生です。

 

退屈と刺激のはざまに、幸福と平和があるような気がします。

 

11: 限界を突破する方法

私たちの能力には限界があるので、その限界の範囲で世界を見ているわけです。

 

見たいものを見るときも、見たくないものを見るときも、見るという知覚能力の
範囲内で見ているだけです。

 

自分の能力の限界までしか、見ることができません。

聞くことも、味わうことも、感じることも同様に、自分の能力の範囲で体験していることになります。

 

自分の能力の外側で起きることは、見えないし、聞こえないし、触ることも感じることもできません。

 

ウサイン・ボルトが100メートルを駆けるとき、何を見聞きし感じるのか、私たちには分からない。

 

同じように、木と会話する能力とか、遠隔ヒーリング能力とか、未来予知能力とか。

信じられない不思議な力は、自分がその分野において、ウサイン・ボルト級の能力がない、というだけのことです。

 

信じられないことが多いなら、自分の知覚能力は、まだまだ伸びしろが多いという証です。

 

さて、禅のマスター道元によりますと、自分の能力の限界は突破できるそうです。

 

  • 自分には認識できないことが、世界には数限りなくある
  • 自分の外側だけでなく、自分の内側にも、認識できないことが、たくさんある
  • 自分が知っていることが、正しいとは限らない、と自覚しておく
  • 自覚した上で、自分の信じる道を歩く

 

すると能力の限界は、どんどん広がっていきます。

 

知る、ということは、いかに知らないかを、認識することです。

知らない、と知ることによって、能力を高めることができるわけです。

 

そんなお話をしています。是非お聴きくださいませ。

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12: 我慢とは慢心

あなたは、今、何かを我慢していますか?

 

我慢とは「辛いことを耐え忍ぶこと」と辞書には書いてあります。

けれど我慢とは、実は「自我の慢心」でもあるのです。

 

何かを我慢しているなら、こんな風に、自分に問いかけてみてください。

  • なぜ、我慢をしているのか?
  • その我慢に至る原因は何か?
  • 我慢の先に求めるものは何か?

 

大切な存在を守るため。

自分の使命を果たすため。

より良い人生を送るため。

 

そうですねぇ…。

 

よくよく自分の内面を眺めまわしてみると、どうでしょう。

 

他人に良く思われたい。

他人より優れていたい。

他人に負けたくない。

 

というような、他者との比較に関わる感情が、現れてこないでしょうか?

 

自分は自分。

自分は、ちっぽけな存在。

生きているだけでラッキー。

 

そう感じたら、我慢することなんて、ほぼほぼ、なくなっちゃうんですよね。

 

自分は自分で生きているようで、ただ偶然に活かされているだけ。

生きている限りは、この人生の楽しみを味わうという仕事を、手放してはなりません。

 

我慢している自分に陶酔し、自らの手で生きる楽しみを、逃さないようにしたいものです。

 

そんなお話をしています。是非お聴きくださいませ。

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13: 悩みは過去から不安は未来からやってくる

あれがない、これができない、うまくいかない、色んな悩みがあります。

 

悩みは悪者ではなく、人生に知恵をもたらし、実験の材料にもなります。

でも、悩んでいると、苦しいですよね。

 

悩む理由や原因の多くは、過去からやってきます。

 

過去に見たもの、過去に経験したこと、過去に手にしたもの、過去に知ったこと。

人間関係、仕事、経済力、実績、権力、名声。

 

全て過去のできごとの、一部や一時期のまとまりで、今の自分とは別ものです。

今この瞬間の自分は、ただ呼吸を続け、ただ生きているだけ。

 

不安も同じようなものです。

 

失敗したらどうしよう、恥をかくかもしれない、地震が来たらどうしよう、事故に遭うかもしれない。

 

不安があるからこそ、安心・安全を求めるわけで、大切な生存本能の一部です。

しかし不安の材料は、未来にあるんですよね。

 

今この瞬間の自分だけを観察すると、不安は姿を消すかもしれません。

 

そんなお話をしています。是非お聴きくださいませ。

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14: ユルユル座禅

お釈迦様は菩提樹の下で、坐禅を組み悟りを得たといいます。

 

屋外では「坐禅」、室内だと屋根(マダレ)がついて「座禅」。

 

悟るとか、邪念を捨てるとか、精神を統一するとか、心を無にするとか、いやいや、無理っぽいですよね。

そんなに難しく考えなくても大丈夫です。


坐禅の本質は「行動」にあるので、静かに坐る、というのも「行動」なんですね。

 

坐るという行動を、積極的に続ける。

私たちは修行僧ではありませんから、散歩と同じように、ひとり静かに坐る時間を楽しんでみてください。

 

結跏趺坐(けっかふざ)という瞑想のポーズがあります。

両足の甲を反対側の太ももに載せて、脚を結んだ形ですね。

 

エネルギーの流れが最も良いとされるポーズですが、痛みや苦痛を感じるなら、今はやめておきましょう。

 

あぐらをかいてもいいし、椅子に座っても、寝転んでいても大丈夫です。

どんなポーズでも、ひとりで静かに「いる」ことを楽しめたらOK。

 

ただし!

目を閉じず、でも、パチッと開かないこと。

 

目を閉じると、どうしても恐怖や妄想が現れます。

また目を見開くと、視覚情報が刺激になりますし、見えるものしか見えなくなります。

 

半眼(薄目)のすき間から、そっと覗き見るのは、この世とあの世のすき間にある世界。

 

顕在意識と潜在意識をつなぐ、糸のようなもの。

見えるか見えないか、はっきりしないもの。

 

その、すき間に集中することで、ひとりの時間は静寂に包まれます。

 

楽なポーズで、ただし薄目(半眼)で、ユルい坐禅をお試しください。

 

そんなお話をしています。是非お聴きくださいませ。

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15: 病気のときに、どうするか

道元禅師の言葉に

身の病気なれば、病を治して後に良く修行せんと思はば無道のいたす処なり。四大和合の身、誰か病なからん。(中略)ただ志のいたりなれば、他事を忘れて行ずるなり

というのが、あります。

 

私のハイヤーセルフである神やんの言葉に変換すると、こんな感じになりますね。

病気のときってさぁ、治ったらちゃんとやろうとか、元気になったらできるって思うでしょ。

でも、それって違うんだよねぇ。

人間の身体って、土と水と火と風が混ざってできてるわけじゃん。

いつも変化してて、病気になるのも変化のひとつで。

だから、まぁさ、みんな病気になるの、当たり前なんだよね。

ほんとにやりたいことなら、病気のこととか忘れてさ、必死にやっちゃうでしょ。

ここでいう「病気」とは、ちょっとした痛みや、病名のつかない不快症状、気鬱、気だるさなども含みます。

 

基本的に道元さん言葉は、とても難しくて、解説者によって色々な解釈があります。

 

私としては、書かれていない部分深い意味を感じ、こんな風に受け取っています。

 

調子が出ないときは、調子が良くなったらやろと思いますよね。

でも、調子が出ないときには、出ないなりの理由があるので、自然の成り行きにまかせて、のんびり過ごしましょう。

調子が良くなってしまったら、やりたくないことまで、やってしまうかもしれない。

調子があまり良くなければ、本当にやりたいことしか、できませんよね。

私たちの体は、四大元素(土・水・火・風)の動きによって刻々と変化しています。

病気も自然の成り行き。

健康のための、気づきでもあります。

意志の力や、努力で、どうにもならないこともある。

というわけで、元気がないときは、無理に動かないのが良さそうです。

 

ちなみに「ビョウキ」のコトダマは、ずばり「エネルギーの入れ替え」!

 

そんなお話をしています。是非お聴きくださいませ。

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16: 煩悩と悟り

とんちん、かんちん、いっきゅうさん♪

 

一休宗純、一休さんは、たくさんの逸話や名言を残しています。

 

私のおススメは、こちら。

 

ーーーーーーーー
雨、降らば降れ。
風、吹かば吹け。
ーーーーーーーー

 

うろじより
むろじへかえる
ひとやすみ
あめふらばふれ
かぜふかばふけ

 

という和歌の最後の部分です。

 

うろじ」とは、煩悩にまみれが、穢(けが)れた世界。
むろじ」とは、悟りを得た、清らかな世界。

 

という解説が一般的なのですが、私の独断と偏見による解説は以下の通り。

 

「うろじ」とは、今、生きている、この人生。
「むろじ」とは、死後の、魂の生活。

 

コトダマ(言霊)とカズタマ(数霊)からのメッセージによりますと

 

「ウロジ」は「生まれ落ちた命のエネルギー」であり、「ムロジ」は「広がりを増した魂」と伝わってきます。

 

和歌の全体的イメージは

 

この世からあの世へ、その道中の一休み。

まぁ、そんなに力まず、気楽にいこうや。

 

という感じですね。

 

また良寛さんが、一休さんにならい詠んだ歌

 

すてしみを
いかにととわば
ひさかたの
あめふらばふれ
かぜふかばふけ

 

こちらも良いですね。

 

煩悩だらけの私たちも、俗世を捨てた良寛さんも同じように、大自然の大きな流れに
流されてゆくのです。

 

雨でも風でも、やることは、やる。

どうしてもやりたくないことは、やらない。

 

17: 体調より大切な心の調子

体調がすぐれないと、心も乱れますよね。

身体のどこかが痛いと、心も折れそうになります。

 

①身体
②心
③魂

 

この順番で整えるのが筋道だと、今も思っています。

 

しかし、最近の地球と私たち人間の様子を、ざっと見渡したところ、物質(肉体)の密度や身体への依存度が、薄く軽くなっているようです。

 

心を磨くことの重要性が、日に日に増しているのでしょう。

 

世間は様々な不安に満ちあふれています。

地震や津波、太陽フレアに隕石、次なる感染症などなど。

 

災害や病から肉体は逃れられませんが、心磨きは何かの助けになりそうです。

 

防災グッズも大切ですが、心の中をきれいにして、なるべく笑顔を保ち、他人にも自分にも親切でありたいものです。

 

ちっぽけな人間が、地球・世界・宇宙にお返しできることがあるとしたら、まずは、ご機嫌でいること。

 

機嫌よくいることが、何よりの貢献です。

 

そんなお話をしています。是非お聴きくださいませ。

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18: 自灯明(じとうみょう)について

「自」は自分自身、「灯明」は神仏に供える灯り。

 

光を見失い、暗闇(無明)にいる私たちを照らし導く智慧を、灯明といいます。

一般的には、自分を信じて大切にしなさい、と解釈されているようです。

 

自分を信じること、自分を大切にすることは、とても大切。

しかし、自分に対する過信や執着、妄想は、灯明になりません。

 

謙虚で素直で自然体であれば、特に意識しなくても、自分を心から信じ大切にできるわけです。

 

「自灯明」は、実は「法灯明」と合わせて意味をなします。

 

お釈迦様が亡くなる直前に「自灯明 、法灯明」という言葉を弟子に残したと伝えられています。

 

この解釈は実に様々なのですが、私は、このように捉えています。


「自分自身を灯明として生きるために、法(真理、教え、知恵)を灯明として
歩いていきましょう。」

 

暗闇を歩くとき、信頼すべき存在を頼りにするのは当然のことです。

信頼すべき存在と出会い、その存在を心から信頼し、その導きに素直に従う。

 

そんな自分であれば、ひとりで暗闇を歩くときにも、自分を信頼できますよね。

①今の自分には、心から信頼すべき存在がいるのか?

②いるとしたら、今の自分は、その存在を心から信頼しているか?

 

上記①と②の答えが、両方ともイエスだったら

 

③今の自分は、心から、自分を信頼できるか?

という段階になりますね

 

信頼できる人、信頼できるものがないのに、自分を信じることなんて、できません。

 

まずは、法灯明。

つぎに、自灯明

この順番で進むのが、おススメです。

 

私の独断的解釈で約4時間、禅の話をたっぷり詰め込みました。

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