ダイエットに、関心がありますか?
痩せるために我慢していること、ありますか?
このところ、なぜか「ダイエット」系のご相談が続いています。
そういえば、ずいぶん昔のことですが、痩せたい人たちのためのワークショップを開催したことがあります。
「白湯」を飲みながら、痩せたい気持ちの裏側にあるものを語り合うだけです。
ワークショップ終了時の約束は、明日から各自、正午に「白湯」を飲むこと。
お互いのことを、思いながら飲もうね。
私も正午に、みんなをのことを思うからね。
そう約束して終わるのです。
2か月後のワークに再度参加してくださった方は、みなさん少し体重が減っていました。
もう10年ほど前の、懐かしい思い出です。
【ダイエットの真相】空腹と痩せたい願望に関する非科学的考察
今回は、私自身の「ダイエット系」履歴を振り返り、私の考える「食べること」「食べないこと」について書きました。
長~いまえがき(抜粋)
このたび、ダイエット関係の本を書いてみることにしました。
ダイエット関係ではありますが、ダイエット方法の本ではありません。
この本を読んでも、痩せないと思います。
痩せたいという気持ちの背後にある、なにやら不可解なものにフォーカスした本です。
そこのところがクリアになれば、自分の体を好きになれるのではないか…ということを書こうとしています。
失敗も後悔も、怒りや悲しみもある。
記憶力や瞬発力、肌のハリ艶も、順調に衰える。
それでも今の自分が好きで一日のうち数秒だけは、心から「今日も生かしていただき、ありがとうございます」と思える。
…という状態が、ここ10年ほど続いています。
馴染みの病院は、歯医者さんだけ。
人間ドックや健康診断もやめました。
体の不調は、セルフヒーリングとホメオパシーレメディーで対処。
あと筋トレ瞑想。
今の私を成す、過去や未来の私。
その一部を記すことが、誰かの何かの役に立つかもしれない。
とくに「痩せたい」「何度もダイエットで挫折した」という人のうち、この情報を必要としている超少数派のあなたに届いたらいいなと思ったわけです。
中学時代
中学2年当時、私の体重は現状+20㎏以上ありました。
同じく重量級のクラスメイトがいて、彼女と私は担任教師から「デブ」と呼ばれていました。
「そっちのデブ」「こっちのデブ」と、教師からの距離で個体を特定される。
今なら、大問題になりますけどね。そういう時代でした。
バドミントン部で活躍していたクラスメイトは部活の後、流れる汗を拭きませんでした。
「汗を出すだけ出せば体重が減るから」と、目に入る汗にそっとタオルを押し当てていた。
私は剣道部でしたが、部内トップの「へなちょこ剣士」。
試合に出ても、蹲踞(そんきょ:剣道では試合開始前につま先立ちでお尻を踵に載せるポーズ)から立ち上がったと同時にポカリと面を一本取られる。
スポーツ万能の母にとって、娘が文化系部活に入るなど論外。
私も母の期待に応えようと、運動系部活に入る覚悟はしていました。
いやだったけど。
で、母の得意領域(ソフトボール・バスケットボール・短距離走・バレーボール・テニス・ゴルフ)から最遠の競技を探した結果、剣道になったわけ。
入ってみたら、これも苦手だった。
とにかく全員、私より上手いからね。
急激に太りだしたのは、この頃だったかな。
もともと機能不全家族でしたが、このタイミングで父が失業。
少し前に、米や小銭を送ってくれていた母方の祖父が亡くなり…。
家の中は荒れまくります。
そんなこんなで私、当時流行りはじめた「自律神経失調症」に認定されました。
都立の人気高校受験組から脱落。
不登校。
過食嘔吐。
失語。
順調に転がり落ちていきます。
当時の肥満の直接的な原因は、食べ過ぎと運動不足だったと思うのです。
出生時体重は4㎏近くあり、そもそも肥満体質。
甘いものと塩辛く脂っこいものが好きで、運動は超苦手。
太るべくして太ったわけですね。
ずっと痩せたいと思っていた。
でも方法がわからない。
とりあえず食べる量を減らすぐらいの知恵はあります。
でも、そんなことでは痩せっこない。
量を減らすことで誤魔化した「食べたい」欲望が、おやつや深夜のむさぼり食いを招く。
家も学校も嫌いで、自分の体が嫌い。
何となく一緒に過ごす同級生はいたけれど、心を許せる友だちっていうのは、いたのかなぁ…どうだったろう。
自分のことばかり考えていたのでしょうね。
内心では世界を憎み、人を拒みながら他人にいい顔をし続けた。
思春期の小さな世界で、自分の怒りを熟成させていた。
体の脂肪は、怒りの塊だった…と気づくまでには、長い時間がかかりました。
高校時代
そして高校2年。
体育の授業課題は、テニスでした。
残念なことに(笑)、母はテニスも得意。
テニスクラブに所属し、主婦プレーヤーとしてはかなりの腕前だったようです。
夏休み明けに、テニスのテストがある。
練習試合の得点か何かで成績が決まる。
…と、なぜ母が知ったのか、これも思い出せない。
で、夏休みは毎日、母と自転車で駒沢公園ですよ。
ほんとイヤだったなぁ。
根性がない、遅い、球に集中していない、と怒られながら壁打ちの練習が続く。
そしてテニス特訓の夏は過ぎ。
ハードな運動により脂肪が燃焼しただけでなく、過度のストレスによる十二指腸潰瘍で食事が摂れない。
おかげさまで、1ヶ月半で体重は10㎏減っていました。
登校してみると周囲が褒める。
妙な自信がついたら、常に最下位だった短距離走も普通程度(真ん中あたり)になった。
それでも痩せたいと思い続けたんですよね。
あの気持ち、何だったのかしら。
主婦時代
今から20年ほど前、出産後に奇妙な現象が起きました。
尿が、ほとんど出ない。
水を飲めば、太股に溜まり歩くのも苦しい。
1日で1キロ、体重が増える日もありました。
内科・婦人科・心療内科から某有名大学病院の総合内科まで、病院巡りを続けても診断はつかず。
処方された各種利尿剤も効果がなく、脚はムクムクと膨らむばかり。
病院で治してもらうのは無理だな。
自分で何とかするしかないな。
そんなこんなで自然療法や食養生にハマりました。
排尿が改善した経緯は、第3章「マクロビオティックという考え方」に記しています。
これで心身が整ったかというと、そうでもなく虚しい痩せ願望は、消えませんでした。
5年前に「神々の食べ物」という本に再会。
「痩せたい」から脱出する詳細は、第4章「不食という生き方」でお伝えしています。
そして、これから
風の時代。魂の時代。
占星術やスピリチュアル系に関心のある方には、おなじみの表現となりました。
これから死までのときを、どう生きるのか。
この肉体に宿る、この魂の仕事は何だろう。
というようなことに、意識を向ける人間が増えている時代…だと個人的に理解しています。
人が亡くなる瞬間、重量が減るそうです。
魂には、ちょっぴり体重があるってこと。
魂の重量が正味であって、それ以外は風袋(ふうたい:容器の重さ)だってこと。
そう気づいたら、肉体の体重に対する認識が変わってしまった。
容器の重さだからね。
そんなことより、魂を磨きなさいよと、自分にツッコミを入れている。
魂は、簡単に磨けないので、まずは体を動かす。
体が動けば、魂も活動しやすいらしいので。
そのために、動きやすい体であったほうが楽ちん。
もちろん体を動かせない状況(病気やケガ、拘束されているとか、仕事が忙しすぎるとか)であっても、心を穏やかに維持できれば、魂はちゃんと活動してくれます。
けれど体を動かせるなら、その方が魂も楽ちん。
というわけで、魂が苦しくないように、生きましょうよ。
痩せても、痩せなくても、魂が楽なように。
あとがき(抜粋)
消えていく恐怖
食べないと死ぬ、という常識。
死ぬかもしれない、という原始的な生存欲求に刺激を与える恐怖。
生き物の本能的な恐怖があります。
食べなくても、大丈夫なんだ。
ということを体験してから、漠然とした恐怖を感じることが少なくなりました。
少なくなっただけです。
深夜に突然、獰猛な食欲が噴出し、なだめきれないこともあります。
ストレスが重なり、エスプレッソ片手にチョコレートを食べ続けることもあります。
原始脳が恐怖を感じているときは、瞑想などあまり役に立ちません。
暴れたいだけ暴れさせておきます。
抵抗せず、嵐が過ぎ去るのを待つだけです。
過ぎたら、「また、やってくれたねぇ」と、笑ってやります。
心の中にいる黒いヤツは、抑え込もうとすれば図に乗りますから。
べつに、そんなに気にしてない、という態度が一番効くみたいですよ。
本当に今、食べたいものを厳選する
美味しそうなものが、世の中にたくさんありますね。
美味しすぎるんだもの。
食べ過ぎてしまうのは自然の成り行き。
けれど、成り行きにまかせっきりだと身体がしんどくなりますね。
ならば、どうする?
欲を丁寧に満たしてやる。
本当に今、何をどれくらい食べたいのか身体に聞いてみるといいですよ。
ちゃんと教えてくれるようになります。
今、それ、本当に食べたい?
今、これ全部、本当に食べたい?
ちゃんと身体と相談してみてください。
で、美味しく楽しく食べましょう。
外食、会食、旅先などでは、出された食事を残すのは気が引ける。
やはり全部いただかないと申し訳ないな、と思います。
でも「ありがとう」と「ごめんなさい」の気持ちを添えて、残すのも「あり」かもしれません。
食べても、食べなくても
愛する人、心を許せる人と一緒なら、沈黙の時間もおしゃべりするのも幸せ。
食べられることの幸せを知っていれば、食べても食べなくても幸せ。
そんな気持ちで今日も食べたり、食べなかったりしています。
私の場合、食べた量と体重は、あまり関係がなさそうです。
たとえば、昨夜の私の体重は、前日より1キロ増えています。
食べたものの総量は、小さいジップロックコンテナー(130㎖旧タイプ)一個分程度。
食事以外の水分が約1リットル。
排泄量は計測していませんが、けっこう出た。
汗もかいた。
でも体重は増える。
これも非科学的な推測ですが、筋トレを熱心にやった日は、体重が増加するようです。
感覚的には、太ももが重い。
左の太ももに500グラム、右の太ももに500グラムの濡れタオルを巻いている感じ。
体重の60から65%が、水だといわれています。
水なんです。
日々の体重増減に、ピリピリしないでね。
水の流れが滞っているだけなので、優しく流してあげる。
自分と自分以外の誰かへの優しい気持ちを抱きながら白湯を飲めば、流れはじめます。
体温と同じくらいの湯温が、特に良いようです。
流れに乗って、老廃物を含んだ水が出ていきます。
ちょっとずつ、体重は減ります。
白湯、いいですよ。
Andrea様
★★★★★
2022年6月25日に日本でレビュー済み
乾いた喉に水が染み込むように、スーッと、あっという間に読めてしまいました。
綺麗な数々のグラスの写真と共に、スペースが多い文字配分なのがその理由の一つです。
そのスペースで、それまでの文章を咀嚼する時間ができ、十分に腑に落ちてから、
次に読み進められるからです。
まるで写真に使われている美しいグラスたちで水を飲んでいるような、自分を満たしながら読み進めている感覚がありました。
食べるとか食べないとか、太るとか痩せるとか以前に、この本は、自分とどう仲直りするか、どう自分を受け入れるのかということがテーマだと思います。
〜すべき、〜しなければならないというような言葉で、自分をがんじがらめにしてきた人なら、この本に救われると思います。
今までよくぞ自分のこの体は、我儘で頑固な頭に付き合ってきてくれたなあということに気づけるだけで、この本を読む甲斐があるというものです。
【Amazonレビュー投稿より】