否定されても大丈夫
「あなたは間違っている」
「おまえはダメなやつだ」
「それ、違うんじゃない?」
自分の言葉や態度を否定されると、落ち込みますよね。
でも大丈夫。
ほとんどの場合、否定的な言葉は、発言する側にとって都合が悪いときに出てきます。
あなたの存在や、あなたの表現が、相手にとって都合が悪いだけです。
相手の都合は、相手の問題です。
言われた側が、傷ついたり悲しんだりしなくてもいいんです。
心の使い方
「心とは何か」という問いは、あまりに広くて深いので、私には語れません。
精神?感情?意思?意識?気持ち?心臓?…どれでもあるようで、どれでもないような気がする…。
最近、言霊と氣の仕組みについて学んでおります。
分からないことだらけですが、なるほど!と思うこともあり、私なりの解釈で、その一部を紹介してみます。
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心は、いつも言葉を探しています。
肉体の体験は、言葉の存在によって、体験として認識できる。
今の、この感じを、どんな言葉で表現したらいいだろう?と探すのが、重要な心の仕事なのです。
言葉のストックが増えるのに合わせて、感情も複雑になっていきます。
穏やかな言葉ばかりを集めておけば、心は穏やかな言葉しか使えないので、結果として心身共に穏やかな状態になる。
否定的、攻撃的な言葉の保存量が多いと、心が選ぶ言葉も否定的、攻撃的になる。
既に手に入れてしまった否定語は消せないが、素敵な言葉のボリュームを増やしていけば、相対的に否定語の力は弱くなっていきます。
いい気持ちになる言葉を、どんどん増やせば、いい気持ちで暮らせるというわけです。
読書でも映画でもYouTubeでも、いい気持ちになる言葉をインプットしてください。
心が、きれいな言葉しか選べないようにしておけば、かなり良い人になれそうです。
そして、もうひとつ重要なのは「心は使うもの」ということです。
心は「ある」だけでなく、「使う」もの。
思考によって、心の振る舞いに対して、指示できるのです。
何か楽しいことを考えよう!という意思があれば、心は手持ちの言葉リストから「楽しい言葉」を探しにいき、感情としてアウトプットしてくれます。
何か美味しいものを食べよう!と思ったとき、今まで食べた美味しいものリストや、どこかで知った美味しそうなものリストから選ぶような感じです。
心に指示を出して、心をうまく使い、心に素敵な言葉を選んでもらう。
すると、素敵な人になれる、というわけです。
必要なものを必要なだけ
喜怒哀楽は、私たちの心を豊かにするために「起こる」ものです。
必要があって現れます。
たとえば高価なものを手にしたり、他人に称賛されたとき、心から喜びを感じるなら、存分に楽しむことです。
心を楽しませるために、現れた現象だからです。
どんなに素敵に見えることでも、心が楽しくないなら、苦しみの種でしかありません。
心がウキウキしないなら、その高価な品も、褒め言葉も、必要ないのでしょう。
心が楽しんでいるかどうか、いつも注意を払っていれば、必要なものは必要なだけ手に入ります。
必要以上の何かを手に入れても、きっと心は、楽しくないと思います。