落ち込む=幸せ
最近、読んだ本で知ったことですが。
世界には、およそ7000種類の言語があるそうです。
その多くが、西暦2100年までには消えてしまうだろうと予測されているそうです。
「絶滅危惧種」と同じように「消滅危機言語」という定義があって、周りのメジャー言語(たとえば英語とかスペイン語)に押され、誰も使わなくなってしまうであろう言語のことです。
日本では、アイヌ語や琉球が消滅の危機に瀕しています。
タイ・ミャンマー・ラオスの山奥に住む、ある少数民族は、「下=ハッピー」「上=アン・ハッピー」という感覚があるようだ。
…というような記述があったと、記憶しています(曖昧ですが)。
多くの言語が「上=良いこと」「下=悪いこと」というイメージを共有しています。
日本語を話す私たちも、「気分が上がる」「気持ちが落ち込む」というような表現をしますから、多数派ということですね。
著者の意図に反するでしょうが、私が感じたことを、以下に述べます。
[「上」と「下」について
(下):心が下に向かうのは、自分の内面と静かに向き合うこと。
(上):心が上に向かうのは、意識が外の世界に向いていること。
(下):落ち込むのは、自分との濃密な時間。
(上):高揚感は、外に向かうエネルギー。
(下):両手を胸の上で交差して、静かに、落ち着きを取り戻す感じ。
(上):両手を広げ天を仰ぎ、朗らかに、叫びだしたいような感じ。
上下に限らず、善悪・白黒など、決めつけたくないなぁ。
上より下の方が、いい感じってこともあるなぁ。
ちょっと落ち込んだときこそ、自分と仲良くなれるなぁ。
…というようなことを、ふんわりと思ったわけです。
ついてないなぁ、と思ったら
こんな日、ありませんか?
寝坊して大急ぎで出かける支度をしていたら、お気に入りのマグカップを割ってしまい、アイメイクは失敗するし、寝る前に選んでおいた服に着替えてみたら全然似合わなくて、また着替えて、Uber Taxi予約して、なかなか来なくて、やっと来たら、大事な書類を忘れてたのに気づいて、タクシーに待ってもらって取りに戻って、戻ったらなくて、探したら書類はちゃんとバッグに入ってて、あ~!もう!って思いながらギリギリ打ち合わせ場所に着いたら、誰もいなくて、え?って思ったら、打ち合わせは来週だった。
…とにかく、何もかもうまくいかない、ついてない日って、ありますよね。
私たちのまわりには、強力な磁気的な川が流れています。
心身が弱っていると、この巨大な川に落ち、流されてしまうかもしれません。
寝不足だったり、会いたくない人と無理して会ったり、チョコレート食べ過ぎだったり…きっと何か、心身が弱ってしまう状況なのだと思います。
そのまま放置すると、どこまでも流されてしまいます。
ついてない、と思ったら「あっ!磁気の川に落ちたんだ!」とイメージしてください。
川に落ちて流されたら、何とか脱出しようとしますよね。
川岸を目指して泳ぎますよね。
やっとのことで川岸にたどり着いたら、一番に何をしたいですか?
ゆっくりお風呂に入るとか。
一人で静かに過ごすとか。
大好きな人に会いに行くとか。
そして落ち着いてみたら、自分が、どれほど、やりたくないことをやっていたか、に気づくはずです。
私たちのまわりには、強力な磁気のような、不思議な川が流れています。
イライラ・セカセカしていると、この川は激流になります。
穏やかな気持ちでいると、この川は優しくゆっくり流れてくれます。
同じ川なのです。
ついてない、と思ったら、まぁ、まずは休憩しましょう。
怒りと穢れ
怒りの種は、あちこちに落ちています。
他人の欠点、社会構造の欠陥、経済活動の矛盾などなど。
怒りそのものは、自己防衛や社会の改善に役立つ大切な感情です。
しかし、怒り癖がつくと、心は次なる怒りの種を探し始めることがあります。
こうなると、自分の心が穢れてしまいます。
怒りの種を探すような、心の動きは危険です。
日頃から文句が多い人は、無意識に怒りの種を探しているわけです。
お気の毒ですが、そういう人には近づかない方が良さそうです。
他人の欠点をあげつらうとか、話題は悪口ばかりとか、しばしば社会に対する批判や不満を口にするとか。
このような方々からは、距離をとりましょう。
こちらの心が穢れてしまいますからね。
他人の長所を褒め、悪口を言わない人の近くにいましょう。
怒ってばかりいる人がいたら、とにかく離れた方がいいです。
そして、自分の怒りにも注意を払っておきましょう。
怒りの元ネタが、自分を穢していないか?
この怒りは、善きことを求めて起きたものか?
怒りは悪ではありません。
そこに愛はあるか?否か?で、怒りの質が変わると思います。