不安と恐怖と信頼
不安とは、安心の反対側にあるものです。
安全でないと感じたときに出る警報、つまり生存本能の発動なので、とても大切な仕事をしています。
しかし不安が強くなり過ぎると、集中力は低下し、状況判断に歪みが生じます。
不安が暴走すると、パニック発作や強迫症状になるわけです。
身体面では、発汗・動悸・呼吸困難・不眠・頭痛・下痢・便秘などの症状も出てきます。
不安を消したいと意識すると更に不安が強まり、不安解消が人生のメインテーマになってしまう。
不安とは恐怖である、とも言えますが、ここで私の個人的な使い分けをしてみます。
漠然とした感覚、つまり対象が明確でない場合は「不安」。
対象が明確なら「恐怖」。
対象を回避、または遠ざけることで、恐怖という感覚は鎮められます。
一方、対象がわからない「不安」は、対処の方法がわかりません。
さらに個人的な意見を述べますと、不安を強く感じる人は、人を信じられないのです。
不安の原因がわからないので、ありとあらゆる物・事・人が不安の原因となりえます。
そして、ありとあらゆることを確認したくなります。
現実的に、ありとあらゆることは確認できないので、不安が爆発するわけです。
不安を餌に「もう、誰も信じられない!」という感覚を自分で育てているようなもの。
そもそも信じていないのにね。
というわけで、人を信じる練習が、ありとあらゆる項目チェックの沼から脱する助けになりそうです。
人を信じるためには、裏切られても大丈夫そうな、小さな、簡単なお願いをしてみることです。
ほんの些細なこと、ほぼ裏切られないような、ライトなお願いから始めましょう。
小さな成功体験を重ねつつ、お願いの量と数を増やしていきます。
すると、あら不思議。
ちょっぴり人を信じられるようになります。
やがて世界を信じられるようになり、恐怖と不安を判別できるようになり、不安をコントロールできるようになる…と私は思うのです。
得と徳
「お買い得」「お徳用」の文字には、なかなか抵抗できません。
「得」の反対は「損」で、「お得な感じ」が好まれ、「損した感じ」は嫌われ者です。
さて、ここで「トク」の言霊・数霊です。
「トク」が本来もつエネルギーは、心と心を結びつける力です。
他人と自分の心を結びつけ、さらに自分の顕在意識と潜在意識を統合する力があります。
心の中にあるドロッとした思考や感情を、「トク」の音が浄化してくれるのです。
なんだか、損得勘定の「得」とは違うような…。
というわけで、「トク」の本質は「徳」です。
迷いや苦しみに「お得感」はないけれど、「徳」が積めます。
たとえば誰かに利用され、金銭を奪われたとしましょう。
経済的に「得」はしませんが、「徳」が増えます。
だました相手は表面的に「得」しただけで、「徳」を失っています。
損した、と感じたときには、きっと徳を積んでいます。
相手を恨んだりせず、腹の中でガッツポーズをキメましょう。
信頼と存在
信頼できない人は、存在しないのと同じです。
他人の言動に失望したのなら、その人は、もう、ここには存在しません。
気にしなくて大丈夫。
恨んだり憎んだりするより、自分を磨いた方がマシです。
大切な人に信頼されるような自分にならなくちゃ。
執着とバランス
「執着」は、何となく悪役っぽい感じ。
執着の対義語として、「放下」や「断念」があり、きっぱり手放す感じですね。
個人的には、「執着」は「バランス」と対になると思います。
言霊・数霊を見てみましょう。
「バランス」は、両極(上下・左右・プラスマイナス・東西・白黒など)に向かう力を強めながら、同時に、本来あるべき方向に進むエネルギーです。
あっちこっち振り回されつつ、実は向かうべき方向に進んでしまう、という感じ。
「シュウチャク」は、内面と外界が交わるためのエネルギーです。心の中にあるものと、目の前の現象が接する場所。
心から溢れ出る思いが、現実となる瞬間です。
というわけで、「執着」は悪者というより、優れた職人なのかもしれません。
何か(誰か)に強く引きつけられて、離れられないとしたら、きっと理由があります。
何か(誰か)は重要でなく、執着する理由に意味がありそうです。
執着は「凝縮」「飽和」「再生」を促します。
「なんで、こんな些細なことが気になるんだろう」
「自分には何もできないのに、気になってたまらない」
「どうしても、これだけは諦められない」
という気持ちがギュッと固まり、どうしようもなくなったとき。
きっと新しい世界が開けます。
揺れる心は、ちゃんとバランスをとりながら進んでいます。
大丈夫。
悩みは他人事
あなたの悩みは、実は他人の悩みかもしれない、という話です。
Aさんに意地悪されたとか。
Bさんに裏切られたとか。
Cさんに嫌われたとか。
これって、Aさん・Bさん・Cさんが抱えている問題です。
あなたの問題ではありません。
接触事故のようなものですから、受けた傷を癒すことに専念しましょう。
意地悪しないと生きられないAさんの問題は、Aさんしか解決できません。
Bさん・Cさんも同様です。
他人の問題は、他人が解決します。
他人の悩みを引き受けて、しんどくなるのは、もう終わりにしましょう。