言葉の暴力
他人の言葉に傷つけられて、グッと我慢した経験はありませんか?
言葉は見えないし、傷から血が流れたりしないので、我慢していれば消えるような気がします。
でも、これは誤解なのです。
見えない傷は、見えない血を流します。
刃物を振り回している人がいたら、とりあえず逃げますよね?
その刃物に触れてしまったら、止血しますよね?
傷が回復するまで、静かにしていますよね?
心の傷も、同じです。
傷つける言葉を発する人から、とりあえず逃げましょう。
傷口を洗い、保護し、回復を待ちましょう。
見えないからって、無視したらダメです。
見えない傷こそ、丁寧に癒し、回復まで休憩が必要です。
クヨクヨのススメ
クヨクヨしたって、どうにもならない。
…と言われていますが、どうでしょうね?
「クヨクヨ」を言霊・数霊的に見てみましょう。
「クヨ」は、新しいものを受け取るための、土台をつくるエネルギーです。内面的な葛藤を土台に、素敵なものを創り出す力とも言えます。
「クヨクヨ」=「クヨ」+「クヨ」です。
心の隅っこや、心の奥底には、小さいけれど気にかかる闇や影があるはずです。
これらが「クヨクヨ」のタネですね。
タネに優しく丁寧に水を注ぎ、陽の光にあてると、「クヨクヨ」は新しい力を蓄えます。
「クヨクヨ」と仲良くすると、素敵なエネルギーが湧いてきます。
「ワクワク」の元ネタは、「クヨクヨ」の力でした。
クヨクヨしたって、どうにもならない?
違いますよね。
クヨクヨしたから、ワクワクを感じられる。
というわけで、クヨクヨしたって、いいんじゃない?
希望と期待
いくつかの辞書で「希望」を引くと
1:あることの実現を願うこと。また、その願い。
2:将来への期待。
3:明るい見通し。
という語釈が出てきます。
辞書的には、希望は期待でもあるらしい…。
以下、私見ですが。
希望と期待は、まったく違うと思うのです。
私の中にあるのが希望で、私が外に押し出すのが期待。
心の中で相手の変化を願い続けることは、希望になりえます。
しかし、相手の変化を期待するのは、押しつけや執着かもしれません。
希望が希望である限り、そこに怒りや失望は生まれないはずです。
相手の言動に怒りを感じるなら、そこにあるのは希望ではないかもしれません。
では、「希望」と「期待」を言霊・数霊から見てみましょう。
「現実を客観視する」
「見えない力」
「再生」
「可能性」
「分割」
「感情」
「相互の影響」
期待は心の闇にフォーカスするのに対し、希望は心に光を当てることにもなります。
ちなみに、「期待」を辞書的かつ私的に解釈すると…
「こうなってほしい」
↓
「こうなるだろう」
↓
「こうなるはずだ」
↓
「こうならないと許せない」という心の動き。
結果はどうあれ、期待して待つより、希望を胸に待つほうが、なんかいい感じです。
迷惑ギフト
身の回りのものは、シンプルであればあるほど嬉しい私。
配色でいえば、白と黒+赤が好きです。
幼い頃、花柄の服を与えられると、「やだな〜」と思った記憶があります。
彼氏から誕生日に「ピンクのスエード」+「ゴールドのチェーン」のブランドバッグを贈られたときも、「やだな〜」と思ったこともあります。
いただき物が好みに合うことが、あまりに少ないため、人に物を贈るのが苦手になりました。
相手に好意を示そうとした結果、「やだな〜」と思われるのは「やだな〜」ということです。
でも最近やっと、この感覚の傲慢さに気づきました。
贈り物は、物に価値があるのではなく、贈る人の好意が「ギフト」ですからね。
受け取る側の好みに合うかどうか、気の利いた選択かどうかは、好意には関係ないのですよね。
若い頃は、なんで私にピンク?
私のこと、全然わかってないのね、と相手を責めていた。
好みに合う物を選ぶには、センスも必要だけれど、ある種の器用さが必要です。
器用さと、好意を、混ぜこぜにしていた私…。
物は物でしかないけれど、贈り手の気持ちそのものが「ギフト」。
というわけで、迷惑ギフトは、嬉しいギフトになりました。
人生を変えてくれる人
「あの人のおかげで、人生が変わった」という話を見聞きすることがあります。
素晴らしい出会いによって、人生が激変することも、ありますね。
先日「きっと誰かが、私の人生を変えてくれるはず」と信じている方に会いました。
うーむ…。どうだろう…。
白馬に乗った王子様を待っている感じですよね。
※ここでいう「王子様」とは、恋愛や結婚の相手に限りません。この方の場合は、ビジネスパートナーが現れるのを待っています。
期待は妄想になりかねず、脳内王子様は美化されがち。
結果として、やっと目の前に現れた王子様に気づかず、すれ違ってしまうかも。
王子様を待つ人が今すべきことは、自分を変えてくれる自分になること。
自分の人生を変えてくれる人は、やっぱり自分。
どんなに素晴らしい出会いがあっても、それに気づくだけの自分を育てておかないとね。
機嫌よく、少しずつ自分の魂を磨いておけば、期待以上の素晴らしい出会いが、ひょいっとやってくるような気がします。