言霊の力~KOTODAMA POWER~

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人間関係と心の悩み・ミニ・エッセイ集20

 

 

嘘つきは正直

嘘の語源には諸説あり、定かではありません。

私のお気に入りは「うそぶく(口笛を吹くこと)」から「うそ」が生まれたという説です。

数霊は、「太陽の光を浴びに出かけよう!」と伝えてきます。

龍体文字からは「血の巡り」や「思い込みから離れる力」を感じます。

もしかして「うそ」って、いい言葉なのでは?

 

いつも通り個人的な意見ですが、嘘つきな人は、ある意味で正直者だと思うのです。

自分を守るため、自分の大切な人を守るための最善策として、嘘を使うこともある。

生存本能による反射として、嘘をつくこともある。

 

嘘の事情はいろいろなのです。

 

熱したフライパンに触れたら「アチッ!」と手を引っ込めるように、嘘つきは嘘をつく。

口笛のように、人と自分を力づけるためにも、嘘つきは嘘をつく。

 

これから、どんどん嘘をつきましょう!…とは言いませんが。

 

嘘つきには、嘘をつく理由と事情があるので、嘘をついたからというだけで、その人を嫌いにならないでほしいなぁ…と思ったりしています。

 

視野をげるな

視野を広げるとは、物事の全体を見渡すこと。時間的・空間的に広く見ること。未知の関連する物事を柔軟に受け入れること、などの意味があります。

高い視座(立場・姿勢)から、公平かつ柔軟な視点(視線の向け方)で、広い視野(判断の範囲)で物事を捉えるのが「良い!」とされています。

視野を広げるのは、正しく良いことだ、というのは大人の常識です。

 

…って、そうかしら?

 

私たちが抱える悩みや心配ごとの多くは、生存本能と関係があります。

なんで私は、こんなことに悩むんだろう?

その理由は、生命を脅かすものを排除するためです。

恐怖を回避するために、悩んだり苦しんだりしているわけです。

 

こうなったら、どうしよう?

こうならなかったら、どうしよう?

あっちこっちに悩みのタネが落ちています。

 

視野を広くすればするほど、心配のタネが増えていきます。

視野を狭くすると、心配の範囲も狭くなります。

 

視野を広げなければ、不安・恐怖・絶望のほとんどが消滅するのでは?

心配ごとは消えないが、心配ごとに関する恐怖や絶望が消える、というのが私の実感です。

 

視野が狭い、というのは、ある意味で赤ちゃんの視点です。

目の前にあるものを見る。

目の前にあるものに触れる。

眠いなら寝る。

飲みたいなら飲み、食べたいなら食べる。

吐き出したいなら吐き、排泄したいならする。

笑いたければ笑い、怒りたいなら怒る。

そして、不愉快なら泣く。

 

もう私たちは赤ちゃんではないので、狭い視野で生活すると、トラブルが生じるかもしれません。

けれど、そんなトラブルは、無視すればいい。

そんなトラブルを、あらかじめ引き受けると覚悟すればいい。

赤ちゃん的に生きることを、退化と捉えるか。

精神的な洗練と捉えるか。

自分の感性を信頼できるか否か。

究極の選択ですね。

体験の少ないまま、情報を集め過ぎた人の苦しみは、「広い視野」への無用の憧れではないか…と思うのです。

 

幸せとは何か

哲学的に幸福論の話を…しません。

できないし。

哲学、わからないし。

「しあわせ(幸せ)」とは、「仕合わせ・為合わせ」だという話です。

辻褄(ものごとの筋道)を合わせること。

成り行きや運命に委ねること。

互いにうまく調子をとって、なんとかやっていくこと。

「幸運」=「幸せ」ではなくて…。

今ある状況に、うま~く合わせることが「幸せ」なのだとしたら…。

あら、幸せって、やっぱり自分でつくるものなのね!

と思うのです。

 

忘れる方法

物忘れ
忘れ物

 

「忘れる」という言葉は、なんとなくダメなこと、というイメージがつきまといます。

でもね、「忘れる」って、とても素敵なことなのです。

 

言霊・数霊的に解釈してみましょう。

「ワスレル」という音は、「過去のできごとや感情を調和させる」「残るものと消えるものを選ぶ」「前進する」というエネルギーをもちます。

 

つまり忘れることによって、感情を整頓し、先に進むことができるのです。

 

私たちの記憶には限界がありますから、どんどん忘れていかないと、新しい記憶を受け入れる場所がなくなってしまいます、

記憶すべきことを忘れてしまうのは、忘れてもいいことを記憶しているからだとも言えます。

 

では、何を忘れたらいいのか。

ずばり、不快な記憶です。

 

嫌なことを忘れるには、限られた記憶容量を、好きなことや楽しいことで埋めてしまえばいいのです。

嫌なことを思い出したら、無理に忘れようとするのではなく、楽しいことに意識を向けます。

記憶の限界によって、嫌なことを自動的に締め出すことができるわけです。

 

楽しいことを熱心に考えていれば、楽しい一日が過ごせます。

 

疲労と決断

決められないときは、決めなくていい。

 

決められないときは、決める力がないから。

決める力があるときは、決まってしまうから。

 

決める力がないときは、きっと心も身体も疲れているはずです。

そんなときに無理に決めても、ろくな決断はできないでしょう。

 

疲れているときの決断は、事態を悪化させ疲労感が大きくなるばかりです。

こんな決断をしてしまった自分を責め、ますます疲れます。

 

ということで、疲れている心と身体を休めることにしましょう。

 

今、決めなくて大丈夫。

決断は後回しにして、休みましょう。

 

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