嘘つきは正直
嘘の語源には諸説あり、定かではありません。
私のお気に入りは「うそぶく(口笛を吹くこと)」から「うそ」が生まれたという説です。
数霊は、「太陽の光を浴びに出かけよう!」と伝えてきます。
龍体文字からは「血の巡り」や「思い込みから離れる力」を感じます。
もしかして「うそ」って、いい言葉なのでは?
いつも通り個人的な意見ですが、嘘つきな人は、ある意味で正直者だと思うのです。
自分を守るため、自分の大切な人を守るための最善策として、嘘を使うこともある。
生存本能による反射として、嘘をつくこともある。
嘘の事情はいろいろなのです。
熱したフライパンに触れたら「アチッ!」と手を引っ込めるように、嘘つきは嘘をつく。
口笛のように、人と自分を力づけるためにも、嘘つきは嘘をつく。
これから、どんどん嘘をつきましょう!…とは言いませんが。
嘘つきには、嘘をつく理由と事情があるので、嘘をついたからというだけで、その人を嫌いにならないでほしいなぁ…と思ったりしています。
視野をげるな
視野を広げるとは、物事の全体を見渡すこと。時間的・空間的に広く見ること。未知の関連する物事を柔軟に受け入れること、などの意味があります。
高い視座(立場・姿勢)から、公平かつ柔軟な視点(視線の向け方)で、広い視野(判断の範囲)で物事を捉えるのが「良い!」とされています。
視野を広げるのは、正しく良いことだ、というのは大人の常識です。
…って、そうかしら?
私たちが抱える悩みや心配ごとの多くは、生存本能と関係があります。
なんで私は、こんなことに悩むんだろう?
その理由は、生命を脅かすものを排除するためです。
恐怖を回避するために、悩んだり苦しんだりしているわけです。
こうなったら、どうしよう?
こうならなかったら、どうしよう?
あっちこっちに悩みのタネが落ちています。
視野を広くすればするほど、心配のタネが増えていきます。
視野を狭くすると、心配の範囲も狭くなります。
視野を広げなければ、不安・恐怖・絶望のほとんどが消滅するのでは?
心配ごとは消えないが、心配ごとに関する恐怖や絶望が消える、というのが私の実感です。
視野が狭い、というのは、ある意味で赤ちゃんの視点です。
目の前にあるものを見る。
目の前にあるものに触れる。
眠いなら寝る。
飲みたいなら飲み、食べたいなら食べる。
吐き出したいなら吐き、排泄したいならする。
笑いたければ笑い、怒りたいなら怒る。
そして、不愉快なら泣く。
もう私たちは赤ちゃんではないので、狭い視野で生活すると、トラブルが生じるかもしれません。
けれど、そんなトラブルは、無視すればいい。
そんなトラブルを、あらかじめ引き受けると覚悟すればいい。
赤ちゃん的に生きることを、退化と捉えるか。
精神的な洗練と捉えるか。
自分の感性を信頼できるか否か。
究極の選択ですね。
体験の少ないまま、情報を集め過ぎた人の苦しみは、「広い視野」への無用の憧れではないか…と思うのです。
幸せとは何か
哲学的に幸福論の話を…しません。
できないし。
哲学、わからないし。
「しあわせ(幸せ)」とは、「仕合わせ・為合わせ」だという話です。
辻褄(ものごとの筋道)を合わせること。
成り行きや運命に委ねること。
互いにうまく調子をとって、なんとかやっていくこと。
「幸運」=「幸せ」ではなくて…。
今ある状況に、うま~く合わせることが「幸せ」なのだとしたら…。
あら、幸せって、やっぱり自分でつくるものなのね!
と思うのです。
忘れる方法
物忘れ
忘れ物
「忘れる」という言葉は、なんとなくダメなこと、というイメージがつきまといます。
でもね、「忘れる」って、とても素敵なことなのです。
言霊・数霊的に解釈してみましょう。
「ワスレル」という音は、「過去のできごとや感情を調和させる」「残るものと消えるものを選ぶ」「前進する」というエネルギーをもちます。
つまり忘れることによって、感情を整頓し、先に進むことができるのです。
私たちの記憶には限界がありますから、どんどん忘れていかないと、新しい記憶を受け入れる場所がなくなってしまいます、
記憶すべきことを忘れてしまうのは、忘れてもいいことを記憶しているからだとも言えます。
では、何を忘れたらいいのか。
ずばり、不快な記憶です。
嫌なことを忘れるには、限られた記憶容量を、好きなことや楽しいことで埋めてしまえばいいのです。
嫌なことを思い出したら、無理に忘れようとするのではなく、楽しいことに意識を向けます。
記憶の限界によって、嫌なことを自動的に締め出すことができるわけです。
楽しいことを熱心に考えていれば、楽しい一日が過ごせます。
疲労と決断
決められないときは、決めなくていい。
決められないときは、決める力がないから。
決める力があるときは、決まってしまうから。
決める力がないときは、きっと心も身体も疲れているはずです。
そんなときに無理に決めても、ろくな決断はできないでしょう。
疲れているときの決断は、事態を悪化させ疲労感が大きくなるばかりです。
こんな決断をしてしまった自分を責め、ますます疲れます。
ということで、疲れている心と身体を休めることにしましょう。
今、決めなくて大丈夫。
決断は後回しにして、休みましょう。