今回は、色々なネガティブ感情を和らげることについて書きました。あと、生きること、死ぬことについて。
私だって悩みがないとは言えないけど、こんなちっぽけなことでウダウダ言ってられない。相談者さんの話を聴きながら、そう思う。
何もかもスッキリ、とはいかないけれど、今、ちょっとだけ楽になってほしい。
そんな願いを込めました。
誕生日おめでとう
生きているだけで、ありがたい。感謝とか、ありがとうとか、そんな話ばかりしているけど。
自分なんか生まれなければ良かった、と本気で思っている人もいます。
なぜこんな人生を生きるために、生まれなくてはならなかったのか。
もう終わらせてくれ、と祈りながら生きる人も、たしかに、います。
誕生日を、祝われたくない人だって、現実には、いるんです。
先日、「自分が大嫌いなので、自分の誕生日は一年で最悪の気分だ」という方にお会いしました。
切ないね。
悲しいね。
でも私は、心の中で、その方の誕生日を祝います。誕生日は知らないけど、いつだっていいかな、と思って。
少なくとも私は、あなたの誕生日を祝うよ。
あなたが知らないだけで、他にも祝っている人が、たくさんいると思うよ。
思考のクセと、思考にのクセに気づくクセ
いつも、何か考えています。
いつも、何か悩んでいます。
いつも、何かを望んでいます。
さて、あなたは「なぜ」、その「何か」を選んだのでしょう?
考えたり、悩んだり、望んだりする「何か」を、「なぜ」選んだのか?
他にも色々「何か」はあるのに、この「何か」を選んでしまう。
もしかしたら、「クセ」かもしれません。
私たちの思考には、「クセ」がありますから、いつも同じようなパターンを繰り返しやすいのです。
クヨクヨしたり、瞬間的な激情にかられたり、自分を責めたり憐れんだり、他人を羨んだり妬んだり。
こういうのも「クセ」なんですよね。
「クセ」だと知っていたら、少しは楽じゃないかしら?
あ、また。いつもの思考の「クセ」だ!
…と気づく「クセ」を、追加したらいいんです。
思考の「クセ」は、そう簡単に変わらないけれど。
『思考のクセ』に『気づくクセ』をつけると、魂が磨かれるようです。
マインドフルネスとか、瞑想とか、写経とか、ヨガとか、色々ありますが。
思考の対象として、自分が選んだ「何か」を「なぜ」選んだのか?
思考に気づく「クセ」は、魂磨き初心者にも、おススメです。
選択肢なんか、いらない
先日、あるご夫婦の相談を受けました。
夫38歳、妻36歳、長男12歳、次男10歳の4人家族。
「息子たちが、ゲームと自転車とフットサルに夢中で勉強しない」というのが表面的な相談内容です。
お二人の様子から、本当の相談内容が別にあるのは明らかですが、まずは聴いてみることから始めます。
さて、子どもの勉強について、いつも思うことを書いてみます。
「勉強は、しないより、した方がいい」
「勉強することは、人生の選択肢を広げる」
「選択肢がないと、苦しい人生になる」
…というのが、世間の常識です。
わかる。わかります。世間的には正しいのかもしれない。
相談者・妻も「選択肢が多ければ、幸せになれる確率が上がる。選択肢を増やすためには、やっぱり勉強した方がいい。私も旦那も勉強が嫌いだったから」と言う。
あなたも、旦那さんも、勉強が嫌いだったのね?
だから選択肢が少なくなったのね?
ゆえに幸せになれる確率が下がってしまったのね?
つまり今、幸せではないのね?
…とは言わないけれど、まぁ、どうやら、そういうことなんですよね。
家族4人元気で、夫婦共に仕事があって、息子たちも好きなことができる。とりあえず生活の不安もない。だけど、なんだか心地よくない。
だから、私のところにやってきた。
本当は夫婦関係の相談なんですけどね。それは別の話。
今日は「選択肢は多い方がいい」について、私なりの反論です。
選択肢が多いと、幸せになれる確率が上がるのか?
幸せになれる確率が上がると、幸せになれるのか?
今、自分は幸せなのか?
今、幸せでないのなら、それは選択肢が少なかったからなのか?
今、幸せであるなら、それは選択肢が多かったからなのか?
今、自分は幸せだと感じられるのか?
その感覚と、選択肢の幅には、なんらかの関係があるのか?
選択肢なんか、なくたって幸せに生きる人がいる。
数限りない選択肢があっても、幸せを感じられない人もいる。
つまりですね、「選択肢」なんて、いらなんじゃない?
…と思ったわけです。
自己肯定感を一瞬でアップさせる話
地球って、すごいと思いませんか?
太陽、月、星、風、海、山、樹木、みんな、すごいですよね。
あんなにも、すごい存在と、繋がっている。
あなたも、私も、すごーく、すごい。
ね?すごいでしょ?
そもそも「自己」なんていう言葉を知ってから、人生はややこしくなってしまったような気がします。
「自己」なんて、考えたこともなかった、あの頃は、きっと、めちゃめちゃ自己肯定感が高かったのだと思います。
無駄な知識や知恵がついて、自己を肯定することもできなくなってしまった、残念な大人たち。
死後の幸せ
大切な人が亡くなって、お別れの会に行ってきました。
悲しくてボーっとしていたら、ずいぶん前の、神やんの言葉を思い出しました。
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あのさ、大好きな人が死んだら、すっごい悲しいよね。
思いっきり悲しんで、いっぱい泣けばいいよ。
でさ、大好きな人って、すっごい優しかったでしょ。
「なんで、あんな、いい人が、こんなに早く死んじゃうんだよ」とか、思うよね。
でも心配しなくていいから。
四十九日って、あるでしょ。
人は死んだ日から、四十九日間に、色んなことを体験するんだけど。
その人が他人にしてきたことを、自分が受けて感じる期間なんだ。
だから、いい人の死後は、この世で想像できないくらい、気持ちがいいの。
人を幸せにした人は、死んだら、それ以上の幸せを受け取ることになるから。
「あの人は今、最高に幸せなんだ」と思っていれば大丈夫。
姿は見えなくても、ちゃんと、あの人がそばに来て、悲しみを小さくしてくれるから。
いっぱい泣いて、死んだ人の幸福を喜んで、静かにしていたらいいよ。
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そうでした。すっかり忘れていました。
幸せ貯金
昨日、ふと思い出したのは、神やんから聞いた、四十九日の話。
その、つづきが、また蘇りました。
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すごく困った人間って、いるでしょ。
わざと他人を傷つけたり、怒鳴ったり、殴ったり、脅したりする人間。
その人間は、死後四十九日の間、自分の言葉や行動を、全部はっきり体験する。
もう肉体から離れて、魂だけの存在だから、その体験は強烈に響く。
肉体と痛みを分け合えない、めちゃめちゃ苦しい時期を過ごすことになる。
だから、やられた人間は、恨んだり、憎んだりしなくていいし、仕返しも要らない。
やった人間は、死後に受ける罰から、逃げられない。
やられっぱなしで、悔しいだろうけど、考えてごらん。
こいつ、こんだけのことやって、死後どんだけ苦しむんだろう、って。
悲しい存在だよね。
それにさ、仕返しをすると、それが自分の死後に、また返ってくる。
しかも何十倍、何百倍の苦しみになるから、やめときな。
悲しい人だな、って思って離れたらいいよ。
もっと自分を大切にして、自分の死後も、もっともっと大切にした方がいいよ。
しんどいことがあったら、魂の「幸せ貯金」。
悲しいことも、悔しいことも、全部、「幸せ貯金」になるから。
苦しみを忘れようとしなくていいよ。
そんな簡単に忘れられっこないし。
怒ったり泣いたり、どんどん吐き出せばいい。
それから、これは「幸せ貯金」って思えばいいわけ。
みんな必ず死んで、死んでから、また長いから。
死後の幸せを、貯金しといたらいいよ。
ぬるま湯みたいな暮らしが、毎日続いたら、どうなると思う?
ほんっと退屈で、つまらないよ。
ダウンアップを繰り返しながら、死ぬまで生きるの、人間は。
「幸せ貯金」を積み立てていれば、少しずつ魂が透明になっていくよ。
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そうでした。すっかり忘れていました。
愛は苦しみ
人を愛することは、別れの苦しみを味わうこと。
ならば誰も愛さなければ、苦しまずに生きられる…かというと、そうはいきませんね。
誰も愛さないのも、大変に苦しいことです。
人は人を愛し、人を愛するからこそ、人と別れるのが苦しい。
人は真の愛を感じるとき、同時に苦しみにも気づきます。
愛は愛だけで、善は善だけで、存在しているわけではありません。
表側だけをみて、裏側にあるものから目を背けると、これは執着になります。
条件つきの愛です。
自分の好みや都合を基準に判断すると、どんな相手にも気に入らないところがあるはずです。
あらゆる善きものは、苦しみとセット。
あらゆる苦しみは、幸福とセットなのです。