言霊の力~KOTODAMA POWER~

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人間関係と心の悩み・ミニ・エッセイ集8

今日、鏡を見ましたか?

鏡の中のあなたは、どんな姿でしたか?

どんな表情でしたか?

笑顔、つくってみましたか?

形だけ、むりやりで、いいんですよ。

笑顔、つくってみてください。

「人間関係」の「人間」とは

悩みの多くは「人間関係」だといわれています。

「人間関係」とは、自分と他人との関係だと思いますよね?

パートナー、親子、友だち、ご近所、仕事関係…。

あなたを悩ませる「人間関係」の相手は、どんな人でしょうか?

自己中心的な人。
愚痴っぽい人。
すぐ怒る人。

色んな人がいます。

どうしたら、その人との関係を良くすることができるでしょうか?

その人は、その人自身を好きだと思いますか?

自信満々だったり、威圧的な態度の人を観察すると、心の奥底では自分を好きではなさそうです。

あなたは、どうですか?

あなた自身と仲良しですか?

自分と他人との人間関係を円滑にするためには、まず、自分と自分の人間関係を観察する必要があります。

大人になった私たちは、まず「自分自身との」人間関係から、整えなくてはなりません。

もちろん他人は変えられないし、苦手な人と無理に合わせるのはしんどいし…。

それより、自分とうまく付き合うことに注目してみてください。

自分にも「嫌だなぁ」「ダメだなぁ」というところが、やっぱりありますよね。

私…たくさんあります。

けれど、その嫌なところ、ダメなところをひっくるめて私なので。

もう、この私と、うまくやっていくしかないんですよね。

嫌いなところを、好きになる必要はないし。

ダメなところを、修正しなくてもいい。

大好きになれなくても構わないんです。

ほどほどに自分と、どうにか付き合っていきましょう。

自分とほどほどに付き合うことで、他人との関係も、ほどほどになっていくものです。

期待し過ぎないのも大事ですよね。

自分にも、他人にもね。

人と比べないでいられるか?

「自分らしく生きるために、人と比べないで、ありのままを受け入れる」

などと、いわれていますが。

どうでしょう?

比べるというのは、二つ以上のもの(人)を突き合わせて、差異や優劣を調べることです。

差異は、当然ありますよね。みんな違う。

優劣も、やっぱり、あると思うのです。

優れているから偉いとか、劣るからダメだとか、そういうのが人生をつまらなくする。

誰かより劣る一点において、同時に誰かよりは優れているわけだし。

誰かより優れた点が劣るとしても、他の誰かよりは劣るでしょう。

いいんじゃない?どっちでも…。

誰かさんは誰かさんで、私は私。

誰かさんよりダメでも、私は私。

人と比べることは、自分の一部にひとつずつ気づいていくことです。

比較調査のようなものです。

そう堅苦しく考えず、色んなことを色んな人と比べて、楽しみながら生きましょう!

 

自分を外側から眺める

自分というのは、一体どんなものでしょう?

ふたつの条件つきで、自己紹介のシーンをイメージしてみてください。

①職業・肩書・年齢・経歴・家族構成などを一切使わないこと。

②客観的に。

こんな条件で自己紹介するとしたら、あなたは自分をどう表現するでしょうか?

「客観的」ということは、「主観的」の反対ですから、他人が自分をどう見ているか?という風に考えるかもしれません。

しかし客観的であろうとしても、たいていの場合、自分は「他人が自分をこのように見ているだろう」という思い、つまり主観的になってしまうのです。

自分を客観的にみる、というのは、 とても難しいことです。

「客観的にみよう!」と思ったとたんに、何かしらの感情が動いてしまうからです。

その感情の元ネタは、善悪や正誤の判断、見栄や体裁、好き嫌いなどなど、色々あります。

恐怖や羞恥心、プライドなんかも影響しますね。

自分を外側から眺める練習として、こんなイメージ遊びを試してみてください。

①自分のおなかの中に、視覚をもった小さなロボットが住んでいます。ロボットの名前はアキラ君(お好みの名前で☺)。

②アキラ君は、ときどき、あなたの身体の外へ遊びにいきます。

③帰ってきたアキラ君が、あなたの前に立ち、あなたをジッと見ています。

④アキラ君には感情はありませんが、特殊な視覚をもっているので、見えない部分のあなたが発する情報もキャッチすることができます。

⑤見えない部分というのは、あなたの魂の願望や、情熱、失意、感情が発する色などです。

さて、いかがでしょう?

アキラ君の視覚データには、どんなあなたが記録されたでしょうか?

私のアキラ君が

「みかけは、ちょっとコワ目だけど、けっこう地味な人だね。いつも何かを探しているね。落ち着いているように見せているけど、さっさと早く終わらせたいんだね。そのことが終わったら、もう興味がないんだね。」

と記録したかどうか、私にはわかりません(笑)。

 

自分の「快適」を追求する

あなたは、自分の快適さというものを、丁寧に扱っているでしょうか?

自分だけの快適さなんて、考える暇がない。

そんな自分勝手なこと、できない。

なんて思っていませんか?

人生を豊かに生きるためには、自分の快適さを大切にしなくちゃ!

わがままだとか、自己チューとか、そういうんじゃなくて。

どこまでが快適で、どこまでが耐えられるゾーンで、その先は不快で。

境界線に気づくことが大切です。

超えたら、ダメなところ。

世間がどんなに「良い」といおうと、自分にとって「不快」なら、それは「良くない」ものかもしれない。

環境、食べ物、衣類、温度や湿度、音響、香り。

人間関係、運動、日常生活の手順。

あなたにとって、それらは快適でしょうか?

すごく気持ちがよくて、大切にしたいものは何でしょう?

みんなが良いというけれど、どうも好きになれないとか。

そういう微妙な感覚を、なにより大切にしていただきたいのです。

洗脳や強制によって、自分の望みを誤解していないか?

人生の豊かさは、今、快適であるかどうかに現れているような気がします。

 

すべて消える

お釈迦様の言葉に

「因縁によって起こることは、すべて消滅する」

というようなものがあるそうです。

もちろん私は原典を知りません。

私の師匠から聴いた難しい話の一部を、自分なりにメモしただけです。

ともかく、因縁によって何かが起きるとき、それまでの因縁エネルギーが消える、ということらしいんですね。

ここでいう「因縁」というのは、いちゃもんをつけることではなく、生じる直接の力(因)と、それを助ける間接の条件(縁)のことです。

すべてのことが、因と縁で起こるのなら、みんな消えちゃうってことですよね。

あ!

嫌なことがあったとき、その因縁は、そこで消えるってことだ!

これで、チャラってこと!

この嫌なことのおかげで、これまでの因縁をクリアしたってことです。

ゲームをひとつクリアしたのと同じですね。

よかった、よかった。

でも、また次がやってきます。

「またか…」と思いますが「次をクリアするチャンス!」でもあるわけです。

そして、もうひとつ。

同じようなことが何度も繰り返し起きる場合は、過去の因縁ではないかもしれないそうです。

今の自分が、残念な状態のままだから、自分で悪い因縁をつくっている。

…という可能性を心にとめておきなさい…と師匠が…。

まず、自分の今の生活を整えなさい…。

耳の痛い話です(笑)。

 

共感について

共感力とは、「相手の状況や気持ちを推察し、寄り添う能力」だといわれています。

人と人の円滑なコミュニケーションのために、「共感力は重要だ」ともいわれています。

さらに人的支援の従事者にとって「共感力は不可欠」ということになっています。

さて私が、世間の常識に反論を述べてみるのは、いつも通りのことです。

以下、私見。

共感力というのは、ひとつの個性です。

誰にでもあるもので、いろんな共感力があって、使い方も人それぞれ。

共感力という定規で人を計測すれば、その力の高さ低さを表すことができるでしょう。

しかし、なんでも高ければ良い、というわけでもなく。

低いからって、高い人を羨む必要もなく。

高くなるための努力など、論外です。

また共感力は、霊感と言い換えても良さそうです。

見えないものを見る力と言っても良いでしょう。

一般的な共感力の定義でみると、たとえば「殴られて傷ついている人」の「殴られたという状況と、傷ついた気持ちを推察し、その人に寄り添うこと」となりますね。

「殴られて傷ついて」いない自分が、相手の状況と気持ちを推察し、寄り添うわけです。

寄り添う、つまり、心と身体がそばにいる感じ。

過去に殴られた経験があるか。

暴力シーンを見慣れているか。

相手に寄り添う余力があるか。

といった条件によっても、共感力は変化します。

相性というのも、ありますしね。

何より、相手は「共感されたい」のか、という問題があります。

相手の気持ちが「傷ついている」からといって、寄り添ってもらいたいか否かを「共感」できなければ、単なる「おせっかい」です。

感じ取るべきものは、相手が発した言語・非言語の情報だけでなく、相手の周囲にある霊的な存在の意図です。

そして真の共感は、相手から離れたときに、消えるはずなのです。

私たちは、相手の「傷ついた心」に共感したつもりで、実は自分が「傷つけられ」、自分の傷に傷ついていることが多いような気がします。

だから「寄り添った」後も、自分が受けたダメージに苦しむのだと思うわけです。

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