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はじめての出版・実現までの道のり【あい出版のサポート実録】Part3

赤ちゃん整体院の院長先生が、子育ての不安に悩むママさんたちに「これだけは知ってほしい!」という強い想いを伝える本を「出版する!」と決意しました。

▶︎赤ちゃん整体院at横浜
▶︎薬に頼らない育児13年目、3兄弟を育てた育児のプロ
▶︎子育てが心から楽しいと思えるママになってもらうように全力応援

 

この出会いに、愛と感謝を込めて、あい出版が全力でサポートします。

あい出版とは

 

 

はじめての出版までの道のり【あい出版サポート実録】Part3

前回の実録Part2から、ずいぶん時間が経ったてしまいました。

今回は、サポート実録が途絶えた期間に起きたことと、その後についてお伝えします。

母が亡くなりました

前回インタビューのとき、子どもたちに我慢させるのは、やめよう…と決めたのです。

子どもたちが寝た後に、Zoomでインタビューを続けよう…って。

日時を決めた、その数日後。

私が、はじめての出版に伴走している、赤ちゃん整体院の院長先生から「母が亡くなりました」という連絡をいただいたのです。

お母様はこれまで、難病と闘い13年間も苦しんできました。

 

ここでいう難病とは、原因不明、治療法が確立されていない疾病です。

特定疾患とも呼ばれています。

筋ジストロフィー、クローン病、パーキンソン病、などは聞いたことがあるかもしれません。

それ以外にも、いわゆる難病はたくさんあって、多くの患者さんが苦しんでいるのです。

 

もう逝かせてほしい、とお母様は家族に何度も懇願しました。

でも、夫であるお父様も、長女であるお姉さんも、どうしても受け入れられなかった。

次女である院長先生は、母の望み通り、早く楽にしてあげたい…と思いながら、それを口にできないまま、月日が流れていました。

何度も、何度も危篤状態になり、その度に母は、父に引き戻されるように、命をつないできました。

そして、とうとう、旅立っていったのです。

お姉さんとは、母の看護をめぐり意見の対立があって、もう何年も口喧嘩のような会話しかできませんでした。

でも、病床の母に付き添いながら、なぜか二人は何時間も、幼い頃の思い出話を続けたのです。

姉妹の会話が、聞こえていたのか、いなかったのか…。

お母様は旅立つ前日、突然はっきりと「とにかく、仲良くしてね」と言ったそうです。

それだけが、気がかりだったのでしょう。

姉妹が仲良く会話するのを見届けた翌日、スッと息を引き取りました。

覚悟はしていたものの、お父様のショックは激しく、放心状態が続く。

院長先生は、日に2回、「生存確認」と称して、お父さまと電話で会話しているそうです。

…というようなことがあって、やっと今回のZoomインタビューに、たどり着きました。

夢の中で長男と出会っていた

整体院を開業するきっかけは、三男の発達の遅れです。

しかし、院長先生の想いを知ってもらうためには、長男の出産のことから伝える必要がある。

…というのが、あい出版の提案です。

そこで、長男出産にまつわる、思い出などを伺ったのですが…。

「私は、ピリチュアル系ではない」と繰り返す院長先生ですが、霊的感性が豊かであることは、否定しようもない話がでてきました!

 

高校生のときにみた夢があって。

すごく広い芝生の公園で、私が1歳か2歳の男の子を追いかけながら、その子を「りゅうちゃん、りゅうちゃん」って呼んでいたんです。

見たこともない公園、会ったこともない男の子。

でも、たしかに「りゅうちゃん」と呼んでいた、という話を、母に伝えていたらしいんです。

私は、すっかり忘れていたんですけど…。

りゅうがお腹にきてくれた後、なかなか名前が決まらなくて。

義父(夫の父)は、長男の長男として意味のある名前をつける、ということで、義父が考えつくして、決めてくれた名前があったんです。

でも私は、どうしても、しっくりこなくて。

夫は、そんなの気にしなくていいよ、って言ってくれたんですけど。

最後まで考えて、どうしても決まらなかったら、義父が決めてくれた名前にしようって夫婦で話していたんです。

産まれてくる直前まで、何も思い浮かばなくて。

いくつか候補はあがるけど、どれもピンとこない…という日が続いていたとき。

夫が、何の脈略もなく、名前の話をしていたわけでもないのに、突然「おれ、『りゅう』がつく名前にしたい!」って言ったんです。

そのとき、「りゅう?」って、ちょっと引っかかったんだけど、夢のことは思い出さずに「いいんじゃない?」と答えました。

後日、夫との会話を母に伝えたところ、「はっ!あなた、高校生のときに『りゅうちゃん』って呼ぶ夢、みたって言ってたわ」って、母が思い出したんですね。

で、「あっ!そう言われたら、そうかも!」って、私もなんとなく、フワ〜んと思い出しました。

「そうだ!」って夢の中の景色を、はっきり思い出したんですね。

その後、息子が何歳だったかな?本当に、現実で、その光景に出会ったんです。

「あっ!ここ!」ってなったのが、当時住んでいたマンションの、すぐ前の公園。

長男が産まれたとき、漠然と「会うはずだった人と会ったんだな」「繋がったな」「こういうことなんだな」と感じていたのが、クリアになった瞬間です。

それから、母が2歳に長男を見て、「あ~!私、この子と会ったことがある!」って、「夢でみたもん!」「まるっっっきり、夢でみた子だわ!」て言ったんですね。

母の夢というのは、祖母(母の母)が、夢の中で長男を抱っこしてきて、母の前にポンって置いたんですって。

祖母は何も言わなかったけど、置かれた子の周りから、バーって、すっごい光が出て。

そのまま、子どもをそこに残して、祖母は優しい笑顔で去っていってしまった。

その子の髪の毛は、クリンクリンで、目が大きくてまん丸で、ハーフみたいな顔で、もうハッキリ覚えてるって。

まさに!今の長男!そのまんま!…って。

母と私の思い込みかもしれないけど、私の中では「あぁ、そうなんだ〜」って、すんなり思えたんですよね。

こういう経験はあるけど、自分がスピリチュアルな能力があると思ったことは、ないんです。

この話を、本に入れるかどうかは未定です。

が、思いがけず、素敵な話がでてきました。

長男出産のとき

長男が生まれるとき、微弱陣痛で「いきみ」が来なかったんですね。

 

※微弱陣痛

陣痛(子宮が収縮し赤ちゃんを押し出そうとする働き)の、強さ・頻度・持続時間などが不足し、分娩がスムーズに進まないこと。

 

助産師さんがモニターを見ながら「今、いきんで!」って声をかけてくれるのに、無理矢理合わせるというか。

本来なら自然に波がきて「う〜ん」ってなるのに、波がこないから、タイミングをつかむのが、めちゃくちゃ難しかったんですよね。

痛みはあるけど、いきみがない。

「なんなんだよ!聞いてたのと違う!」と思いながら、呼吸法で、ひたすら痛みを逃がしているだけ。

その状態が40時間(母子手帳チェック)続いて。

痛みで何回も吐いちゃったし。

だから、生まれてきた瞬間は、もう放心状態で、感動とかなかったんですよね。

こんなものなの?私って冷たい人間なの?って、思ったほど、もう疲れ切っていて。

「おわった〜」「あ~、おわった〜」って、それだけでした。

必然の出会い

出産が大変だった、というのもあるけれど、息子を抱いて「はじめまして!」という感じではなかったんですよね。

もう、この子に会うことを知っていた、というか何というか…。

この子がいるのが当たり前の感覚だったので。

赤ちゃんだから、小さくてかわいいですよ、もちろん。

でも、この子の母親になることは、分かっていたという確信みたいなものがあって。

だから母親になった喜びというよりは、やっと会えた安心感かな。

あ、初めて、おっぱい飲んでくれたときは、やっぱりね。

「抱っこして」って助産師さんに言われても、どうやって抱けばいいの?って思ったし。

「おっぱい、あげて」って言われても、どうしたらいいのか分からなかったし。

でも、見よう見まねでやってみたら、ね。

カプって、吸いついた瞬間。

私みたいな、こんな貧乳でも吸いつくんだ!

すっごーい!

って思ったかも、そういえば。

命って、なんて尊いんだろう、生まれてすぐ、こうやって吸いつく力があって、って思った。

ワクワクが止まらない

インタビューの中で、封印されていた記憶が、パッと飛び出してくる。

この感動は、著者さんだけでなく、伴走する私にとっても宝物です。

さて、次のインタビューでは、何が出てくるか?

どんな本が出来上がるのか?

もう、楽しくて、ワクワクが止まりません。

次回のレポートを、どうぞお楽しみに。

 

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