すぐできる運気改善
運命とは何か?という議論は、概ね以下の3派閥に分かれるようです。
①「運命なんて信じない、すべて偶然だ」
②「運命は、神が与えたものだ」
③「運命は、生まれる前から決まっていたことだ」
私は、「自分がしたこと、しなかったことに対する、自然からの回答」だと考えます。
③と②の間かな。
運命とは何か、は横に置いて、仮に運命という川の流れを、運気という言葉で表してみます。
川の流れにうまく乗れたら、運気は改善しそうです。
流れに逆らったり、濁流にのみ込まれると、運気が下がりそうな感じ。
運気を改善する、具体的なアクションがあるので、お伝えしますね。
A:鏡の前で60秒、口角をあげて笑顔をつくる。
B:大股で、大きく手を振って歩く
C:肌触りの良いものをポケットに入れて触る
いずれも、感覚刺激によって、エネルギー状態を変えることになります。
D:好きな人のことを思う
E:お世話になった人のことを思う
F:お礼やお詫びを伝えそびれている人のことを思う
以上は、心に働きかけることで、暴走する感情を整えるアクションです。
さらに、嗅覚を使って、生きるエネルギーを高める方法もあります。
あなたが運命という川の流れ、運気に翻弄されているなら。
香りの助けを借りて、命をチャージします。
G:運気が下がり、怒りや恐怖を感じるなら、懐かしい香りを嗅ぐ
H:運気が下がったことを認めたくない、気にしたくないなら、今まで嗅いだことのない香りを嗅ぐ
アロマでも、お線香でも、何でもOKです。
どうぞ、お試しください。
スマホ首の弊害
スマホ首とは、頸椎(首の骨)本来のカーブが失われ、直線的になった状態のことです。
スマートフォン・パソコン・ポータブルゲームなどの使いすぎが原因となるため、スマホ首と言われています。
ストレートネックとも言われます。
筋肉が緊張し、収縮した状態ですから、筋肉をほぐせば改善します。
しかし放置すると、骨や軟骨に負担がかかり、頭痛・肩こり、めまい、手や腕のしびれ、さらに頚椎症や頸椎ヘルニア…とつながっていきます。
スマホ首の対処法については、専門家に相談していただくとして。
ある日、運転中のできごと。
信号待ちで、バス停の近くで停車しました。
バス停には、4人の女性が並んでいました。
先頭の人は最も身長が高く、2番目、3番目、最後尾の人へと少しずつ下がって、冗談みたいに整然と並んでいたのです。
4人ともスマホを右手に持ち、30度ほど首を前に倒していました。
ありふれた光景ともいえますが。
4人の首の角度や、スマホの位置が揃っていすぎて、なんだか恐ろしいような気持ちになりました。
その日は爽やかな風に恵まれて、バス通りからも美しい青空が見えるというのに。
みんな忙しいのでしょうね。
新しい情報を仕入れることに。
新しい情報を発信することに。
知り合いとの情報交換に。
何かを見逃したり、取り逃がしたりしないように。
あらゆる不安を解消するために。
葉っぱが揺れたり、子どもがお母さんと手をつないでいたり、そういうの全く見ないで。
4人のまわりには、色んな素敵なことが起きているのに。
薄っぺらい箱の中に心を奪われて。
自分にはないものを、欲しがって。
自分以外の人と、自分を比べて。
疲れるだろうなぁ…と思ったのでした。
妄想と生命力
西洋医学で定義される妄想とは、思考内容に関する障害で、主に自分に関係する誤った確信だと言われています。
・思考に関すること
・自分に関係すること
・事実ではないこと
・確信していること
・反対意見を受け入れないこと
「被害妄想」「誇大妄想」「被影響妄想」など様々に分類されます。
他人から危害を加えられると思い込むこと。対象となる他人は特定しにくく、変わりやすい。
「いつも監視されている」「食べ物に毒を入れられた」「ものを盗まれた」というような妄想です。
自分の能力や価値を過大評価すること。
「高貴な家に生まれたが、事情があって貧しい家庭で育った」「トップモデルと交際している」「神から選ばれた預言者である」「守秘義務があるので詳しく言えないが、世界を変えるような大発明をした」というような妄想です。
他人と比べて、自分の能力や価値が低いと確信すること。
「重大な犯罪を犯した」「重い病気で余命わずか」「自分には肺がひとつしかない」というような妄想です。
その他にも
「どこか、何かが違う」
「この世の終わりがくる」
「右足から踏み出さないと危険」など
様々な妄想があります。
さて、ここからです。
妄想の反対にあるのは、「感性や情動によって」「反証・反論を精査し」「抽象的な概念と理論によって証明されたもの」ということになりますね。
私たちは誰もが、妄想で生きているような気がします。
たとえ「理性的な考察を重ね、証明された事実」であっても、そのように妄想しているだけかもしれません。
「相思相愛の関係」が、互いの妄想によって成立している可能性もあります。
「犬猿の仲」も、互いの妄想によるのかもしれません。
「世界平和」と「争い」。
「善き行い」と「罪」。
「幸福」と「不幸」。
目の前のできごとは現実であって、妄想ではない。
…という認識が、妄想かもしれない。
自分を守るためには、「妄想ではない」という妄想が必要なのかもしれない。
自分が真実だと感じるなら、それは生きる力になりそうです。
妄想は、生命力のひとつ、とも言えそうです。