「神やん」というシリーズ本を出版しています。
ダメな神様と、心理カウンセラー月子、そして相談者が織りなす、メールカウンセリング物語です。
今日は第3巻の話をします。
重いテーマです。
児童虐待。
性的暴力。
ネグレクト。
記憶障害。
成長拒否。
トラウマ。
アルコール依存症。
私ひとりでは、とても書ききれないことでした。
重いテーマこそ、優しく温かく。
辛いストーリーこそ、微笑みを添えて。
そんなことを思いながら、
神やんと月子の力を借りて、書いたものです。
しおりさんと、さくらさんの物語。
しおりさんのことを思うと。
しおりさんのような、女性たちのことを思うと。
みぞおちのあたりが、ギュッと絞めつけられるような、
ときには泥を飲み込んだような感覚になります。
毒親。
この言葉は、あまり使いたくないのですが。
世間でいう毒親の、ひとつのパターンです。
準備や訓練なしに、親になってしまった人。
準備や訓練は、知識では補えません。
子ども時代の安心感。
自分の居場所。
手本となる大人。
そのような諸々が、準備と訓練になるのです。
しおりさんが、どんな子ども時代を過ごしたのか。このような母親が出来上がる背景は、どのようなものだったのか。そんなことを思う日々でした。
しおりさんは、神やんの神社を訪ね、「娘のせいで、自分が不幸になる」と訴えます。「娘をどうにかしてくれ。」「私は幸せになりたいんだから。」…と。
はぁ(ため息)。
お手上げの神やんは、月子に助けを求めます。
「ガキのまんま年だけとった感じ。顔も背中も、ゆがんでバラバラなんだ。」
というのが神やんの、しおりさん評。
それを聞きいた月子は、「悲しい人。悲しすぎて出口がない人」という仮説を立てるのです。
しおりさんの相談メールは、読むだけで息苦しくなります。
月子:「ないよね、これ。」
神やん:「だよなぁ。」
しおりさんの娘を心配する神やん。
月子:「でも今は、しおりさんの相談だから。」
そうなんです。どんな相談であっても、今はその人のことだけを、感じようとする月子なのでした。
娘の問題ではなく、しおりさん自身の問題だということに、気づいてほしいから。
自分の不幸の原因は、娘の存在だと訴えるしおりさん。
おいおい、そりゃないでしょ。と、他人は思いますけどね。当人は真剣です。
彼女の救いとなったのは、このメール・カウンセリングの過程で、ひとつの記憶が蘇ったことです。
娘の出産を前に亡くなった夫への、愛情を思い出したのです。思い描いていた未来が崩れ落ちた。悲しみの塊を、娘に投げつけたのかもしれない。
月子は小さな希望をみつけます。
捻じ曲げられ、押し込められた愛情が、ほんの少し息を吹き返すかもしれない。月子はさらに、しおりさんの感情を自分の中に再現しようとします。
月子とのメールを通じ、しおりさんは少しずつ変化しました。躍進、といってもいいかもしれません。
そろそろ神やんの出番。
なのですが。
月子は「今は何もしないほうが、いいかも」と。神やんの仕事は「当面、保留にして」と頼みます。
しおりさんの変化は、これから何度かダウン・アップを繰り返すだろう。というのが、月子の仮説。次のダウン、気分や状況が下降したときこそ、しおりさんには助けが必要だと感じるのです。
ぱっぱと、さっさと、人を幸せにしたい神やんには試練でもあります。
もしかしたら、待つことが、神やんの修行なのかもしれません。